ガラテヤ人への手紙 4:3 - ALIVEバイブル: 新約聖書 私たちも同じように、かつては、その子どもたちのようなもので人の人生を支配する悪の力の奴隷だった。 Colloquial Japanese (1955) それと同じく、わたしたちも子供であった時には、いわゆるこの世のもろもろの霊力の下に、縛られていた者であった。 リビングバイブル キリストが来られるまでは、私たちもそれとよく似た立場にありました。ユダヤ教の戒律や規則によって救われると考えて、その奴隷となっていたのです。 Japanese: 聖書 口語訳 それと同じく、わたしたちも子供であった時には、いわゆるこの世のもろもろの霊力の下に、縛られていた者であった。 Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳 同様にわたしたちも、未成年であったときは、世を支配する諸霊に奴隷として仕えていました。 ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書) 私たちも同じようにかつてはその子供たちのようなもので、人の人生を支配する悪の力の奴隷だった。 聖書 口語訳 それと同じく、わたしたちも子供であった時には、いわゆるこの世のもろもろの霊力の下に、縛られていた者であった。 |
さてさて、となるとなぜ、“あなた”に外国人イエスの従者の背に、重い負担をかける権利がある?神の判断が間違っていたとでも言いたいのか?我々どころかご先祖様たちでさえその負担を背負いきれなかったというのに・・・
そこで私たちは、奴隷のように、いつもびくびく恐れる必要はもうないのだ。 神の家族の中に、子どもとしてあたたかく迎え入れられたのだから。 神の霊が私たちを実の子どもとし、神をアバと呼ばせてくれるのだ―― 【アバ:アラム語で小さな子どもがお父さんを呼ぶとき「パパ」のように使われる】
イエスの信者といいながら実際、そうでない連中がいるからこそ、注意しなさい。 彼らはまるでスパイのように教会に馴染み、イエス・救世主に属すことで得た私たちの自由を、どうやったら奪えるか観察している。 私たちを奴隷のように従わせたいがために、なにが正しくてそうでないかと無駄に議論をしかけたがる。
ではそもそも、掟は何のために与えられたのか。人の過ちを知らしめるために与えられたのだ。 しかし掟は、アブラハムの子孫たる救世主が来るまでのものだったので、役目を終えた。この約束にある子孫は、神自身のもとからやってきた。 それと比べて掟は、神が天使を介し、天使はモーセを介し、人々に掟を与えたのだ。
ところで、この実話は、神が人間を助けるために開かれた2つの道を示している。 1つは、掟を提示して、それを守るようにと命じた道。 神は、シナイ山でこの道を示した。このシナイ山を、アラビヤ人はハガル山と呼んでいいる。
このたとえでは、アブラハムの奴隷である妻ハガルが掟に従うことによって神に喜ばれようとする生き方の象徴、ユダヤ人の母なる都エルサレムをあらわしている。 そして、この生き方に賛同するユダヤ人は、すべてハガルが産んだ奴隷の子どもなのだ―― 【ハガルはアラビア語で、岩を意味する】
ところが今は、神を知っているのに、というより、むしろ神に知られているのに、どうして、もとの悲惨な状態に逆戻りしたがる。なぜ掟を守って家族の一員になろうとする?すでに神の家族の一員なのにだ!
あなたがたは、もう長い間イエスの信者として生きてきた。 もうほかの人を教えてもいいころなのに、もう一度、神のことばのイロハから手ほどきしてもらわなければならないほど、だめになっている。 まるで、固形物を食べるまでには成長していないので、いつもミルクばかり飲んでいる赤ん坊のようだ。