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ヘブル人への手紙 11:1 - ALIVEバイブル: 新約聖書

信仰とは、願い事が必ずかなえられるという、不動の確信のことだ。 また、どうやって起こるかわからない行く手にも、望みどおりのことが必ず待ち受けていると信じて、疑わないことである。

この章を参照

Colloquial Japanese (1955)

さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。

この章を参照

リビングバイブル

信仰とはいったい何でしょう。それは、望んでいることが必ずかなえられるという確信です。また、何が起こるかわからない先にも、その望んでいることが必ず待っていると信じて疑わないことです。

この章を参照

Japanese: 聖書 口語訳

さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。

この章を参照

Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳

信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。

この章を参照

ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書)

「信仰」(神とイエスの「忠実さ」によって生まれた関係と神の約束に対しての私たちの信頼)とは、私たち人間が望んでいることを現実にするものであり、神が約束している未だ目にしていないもの全てを保証するものである。

この章を参照

聖書 口語訳

さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。

この章を参照



ヘブル人への手紙 11:1
24 相互参照  

ユダヤ人、ギリシャ人を含む全ての人に、心を入れ替えて神に返るようにと語った。そう、我らの王・イエスを信じるようにと。


永遠に残るものは3つ。信仰、希望、そして愛。 その中で一番偉大なのが愛だ。


こんな自慢話は、イエス様だったら絶対にしない。 私は、知恵のない愚か者のつもりなのだから。


だから私たちは、いま見えるもの、すなわち、身の回りの苦しみには目をとめない。むしろ、今は見えない天にある財宝を望み見るのだ。 見えるものは、はかなく消え、見えないものは永遠に続く!


だれでも、イエスの信者になると、神によってその世界が新しくされる。今までの世界観はなくなり、新しいものを得る。


実際に見ることによってではなく、信じることによって、これを事実と認めている。


もしマケドニヤ州の人たちが私といっしょに行って、みんなが、まだ準備していないのを見たら、どうだろう。あれだけ信じきっていた私は、赤恥をかくことになるだろう。 そしてもちろん、みんなも、恥をかくことになるだろう。


イエス・救世主から永遠のいのちをもらった私たちにとって割礼を受けたかどうか、ユダヤ教の掟を守っているかどうか、など全く関係ない。 私たちに必要なのは、愛によって生まれる神への信頼のみ。


神に属すイエス・救世主に送られし使徒、パウロより。 私が預かった使命は、神に選ばれた者たちが、イエスとの信頼を深め、イエスの教えを理解してもらうことで、神がかった人生を歩んでもらうことだ。


救世主を信じきることで、心に注がれた救世主の血が私たちを罪悪感から解き放ち、体に注がれたきよい水で洗われたのだから、自信をもって堂々と神の前に進み出ようではないか。


しかし、みなさんを含め、私たちは神に背を向けたり、みじめな結果を見たりしたことは、これまで一度もなかった。かえって、神への信頼が、たましいの救いを確実にしたのだ。


彼らは死ぬまで信じ抜いた。神の民への約束は、彼らの時代には起きなかったが、将来起こるのを見て、心から喜んだ。 この世に居場所はなく、自分がほんのつかの間、流浪人として滞在する場所にすぎないことを自覚していたのだ。


モーセは、神に信仰があったので、王の怒りをも恐れず、エジプトの地をあとにした。わき目もふらずに、まるで、いっしょに歩まれる神の姿を見ているかのように、前進した。


ノアも、神を信じた人。将来の出来事について、神から警告を受けた時、洪水のきざしなど何1つなかったにもかかわらず、そのことばを信じた。そして、時をむだにせず、すぐに箱舟の建造に取りかかり、家族を洪水から救いだした。 神を信じたノアの姿勢が世の中の人間の愚かさを明らかにした。この信仰のゆえに、ノアは、神に認められたのだ―― 【聖書:創世記9:8-17より引用】


だとしたら、王・イエス自身の口から語られ、それを聞いた人たちが伝え、真実を証明してくれた救いの最高な知らせを無視したとき、どうして罰を免れることができるだろうか。


もし私たちが、初めて救世主を信じた時と同じ気持ちで、神に信頼し、最後まで忠実であるならば、救世主にあるいっさいの祝福を、受けることができるのだ!


しかし、救世主は、神の家のいっさいの統治を息子として従順にこなしている。この誇り高き最高な希望に自信を持ち続けるなら、私たちが神の家なのだ。


神を信頼して生きる生活に無関心になり、だらだらした心を持つことがないように。 かえって、神を信頼するがゆえに、今を辛抱強く生きることで神の約束したものを手にした者たちに続く人間になってほしいのだ。


イエス・救世主の家来であり、使徒であるシモン・ペテロより 私たちと同じ祝福が与えられる信仰を持つみなさんへ それは我らの神であり救世主であるイエスがいつも正しく公平だからこそ与えられた信仰だ。