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ヘブル人への手紙 3:14 - ALIVEバイブル: 新約聖書

14 もし私たちが、初めて救世主を信じた時と同じ気持ちで、神に信頼し、最後まで忠実であるならば、救世主にあるいっさいの祝福を、受けることができるのだ!

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Colloquial Japanese (1955)

14 もし最初の確信を、最後までしっかりと持ち続けるならば、わたしたちはキリストにあずかる者となるのである。

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リビングバイブル

14 もし私たちが、初めてキリストを信じた時と同じ気持ちで神に信頼し、最後まで忠実であれば、キリストにある祝福を受けることができるのです。

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Japanese: 聖書 口語訳

14 もし最初の確信を、最後までしっかりと持ち続けるならば、わたしたちはキリストにあずかる者となるのである。

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Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳

14 わたしたちは、最初の確信を最後までしっかりと持ち続けるなら、キリストに連なる者となるのです。――

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ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書)

14 私たちが初めの頃に抱いたその信仰を終わりの日までずっと持ち続けることが出来るなら、私たちはキリストが持っている全ての物を共有し、味わうという素晴らしい名誉をもらうことが出来る。

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聖書 口語訳

14 もし最初の確信を、最後までしっかりと持ち続けるならば、わたしたちはキリストにあずかる者となるのである。

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ヘブル人への手紙 3:14
17 相互参照  

ところが、信仰の父アブラハムという木のいくつかの枝、すなわちいくつかのユダヤ人は折り取られてしまった。 そして、いわば野生のオリーブの木の枝であった外国人のあなたが、それにつぎ木された。 それで今、あなたも、神がオリーブの木に注がれる、特別豊かな栄養分にあずかって、アブラハムとその子孫とに約束された祝福をいただいているのだ。


神がどんなに恵み深く、また、どんなにきびしい方かを考えなさい。 不従順な者には、非常にきびしい方だが、神を愛し、信じ続ける者には、とても恵み深い方だ。 しかし、もしそうしないなら、あなたもまた、折り取られてしまうのだ。


というのは、みなさんをイエス・救世主に繋げたのは神であり、救世主が私たちに与えられた神からの知恵となったのだ。 イエスのおかげで、神に認められ特別な者とされ、罪から解放されたのだ。


救世主という名のパンは一つであり、同じパンを食べるからには、私たちの数がどんなに多かろうと、一つの体なのだ。


このように、できることをすべてし、最高の知らせを伝え広めるのは、最高の知らせがもたらす祝福を分かち合うためだ。


その秘密の計画とは、こうだ。 最高な知らせを受け入れることで、外国人もユダヤ人と共に神の子どもとして全財産を均等に相続する。 外国人も神の教会の体を形成しているからには、神様がイエス・救世主を通して交わした約束に両者ともにあずかるのだ。


主人が、たまたまイエスの信者の場合でも、それをいいことに気をゆるめたりすべきではない。むしろ、いっそう熱心に働くべきだ! その奴隷の働きによって助けられる主人はイエスの信者なのだから、奴隷はその人を愛すべきなのだ! テモテよ。これこそがすべての人によく教え、指導すべきことだ。


信仰とは、願い事が必ずかなえられるという、不動の確信のことだ。 また、どうやって起こるかわからない行く手にも、望みどおりのことが必ず待ち受けていると信じて、疑わないことである。


肉親の父親は、私たちの将来のために、ほんの短い間だけ、それも、限られた知識に基づいて、訓練してくれる。 ところが神は、私たちのベストを願って、神のきよさを共有させようと、いつも、正当な懲らしめを与えてくれるのだ。


という訳で、神の手で、天国の市民として選び出された、兄弟姉妹よ。 イエスが私たちを救い、私たちの信仰の大祭司となったことを考えてみてほしい。


しかし、救世主は、神の家のいっさいの統治を息子として従順にこなしている。この誇り高き最高な希望に自信を持ち続けるなら、私たちが神の家なのだ。


そこで私たちは、あなたがたがこの世にあるかぎり、いつも人を愛し続け、十分な褒美を受けることができるようにと、ひたすら願っている。


一度最高の知らせを理解し、光を受け、天からの恵みを味わい、神の霊を与えられ、


むしろ、喜べ! その試練によって、イエス・救世主と苦しみを分かち合えるのだから。 やがて、救世主の栄光が輝きわたる時、みなさんは、その栄光を共に受けて、すばらしい喜びを味わえる!


さて、私も同じ牧師の職にある者として、教会の牧師ならびに長老たちにひとこと言っておきます。私は、救世主の十字架上の死の目撃者、また、戻ってくる救世主の栄光に預かる者として、ぜひとも、次のことをお願いしたい。


我々が見聞きしたことを伝えたいのは、この手紙を読む皆さんが私たちと心を一つにしてほしいからだ。我々の心が父さんとその一人子、イエス・救世主と一つであるように。


私たちに従ってください:

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