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マタイによる福音書 22:16 - ALIVEバイブル: 新約聖書

彼らはパリサイ一派やヘロデ党から数人、差し金をイエスのもとへ送り込んだ。 「先生、あなたの教えと言葉は、真実極まりないと存じ上げております。誰がいようが、顔色をうかがうことなく、真っ直ぐに神の道を教えていらっしゃる。

この章を参照

Colloquial Japanese (1955)

そして、彼らの弟子を、ヘロデ党の者たちと共に、イエスのもとにつかわして言わせた、「先生、わたしたちはあなたが真実なかたであって、真理に基いて神の道を教え、また、人に分け隔てをしないで、だれをもはばかられないことを知っています。

この章を参照

リビングバイブル

そして、数人の仲間をヘロデ党(ヘロデを支持する政治的な一派)の者たちといっしょにイエスのところへやり、こう質問させました。「先生。あなたがたいへん正直なお方で、だれをも恐れず、また人をえこひいきもなさらず、いつも堂々と真理を教えておられることは、よく存じ上げております。

この章を参照

Japanese: 聖書 口語訳

そして、彼らの弟子を、ヘロデ党の者たちと共に、イエスのもとにつかわして言わせた、「先生、わたしたちはあなたが真実なかたであって、真理に基いて神の道を教え、また、人に分け隔てをしないで、だれをもはばかられないことを知っています。

この章を参照

Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳

そして、その弟子たちをヘロデ派の人々と一緒にイエスのところに遣わして尋ねさせた。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てなさらないからです。

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ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書)

彼らは、イエスの元にパリサイ派やヘロデ党からの数人を送り込みこう質問した。「先生、あなたの教えと言葉は真実そのものであると存じ上げております。誰がいようが顔色をうかがうことなく、真っ直ぐに神の道を教えていらっしゃる。

この章を参照

聖書 口語訳

そして、彼らの弟子を、ヘロデ党の者たちと共に、イエスのもとにつかわして言わせた、「先生、わたしたちはあなたが真実なかたであって、真理に基いて神の道を教え、また、人に分け隔てをしないで、だれをもはばかられないことを知っています。

この章を参照



マタイによる福音書 22:16
36 相互参照  

「先生、掟の中で、夫が子どもを残さずに亡くなった場合、子孫を残すためにも、夫の弟が取り残された妻と結婚しなくてはならないと教えていますよね―― 【聖書:申命記25:5-6より引用】


しかし、次男も同じく亡くなってしまいました。三男、そしてそれ以降の兄弟にも同じ事が起こりました。


「町へ行って、俺の知人のもとを訪れろ。そしたら、『神が俺のために定めた時は近い。仲間と一緒にあなたのところで過越の食事をとる』と伝えるんだ」


「あ、先生!」 ユダは笑顔でイエスに近づき、口づけの挨拶をすると、心の中で不気味な笑みを浮かべた。


イエスがその場から立ち去ろうとすると、ある男が駆け寄って来て、イエスの前にひざまづいた。 「聖き教師よ、私が永遠の命を得るためには、どうすればよいのでしょうか?」


その後―― 深く根に持ったユダヤ人権力者たちは、イエスを陥れるために、パリサイ一派やヘロデ党から数人、使者を送り出した。


「先生、あなたは正直な方であられることを存じ上げております。あなた様は他人の顔色をうかがうことなく、真っ直ぐに神の道を教えていらっしゃる。先生、ここで一つお尋ねしますが・・・ローマ帝王カイザルに税金は納めるべきでしょうか?」 使者たちはイエスを目にするとさっそく食って掛かった。


―― 一方、それを見たパリサイ一派は、何やら恐い顔つきで出て行った。当時、パリサイ一派はヘロデ党と敵対していた。にもかかわらず、それがウソだったかのように仲良く“イエス殺害計画”を練り始めた・・・!イエスを危険とみなした2つの派閥にとって、双方の敵対心は二の次になったのだ。


――「パリサイ一派のイースト菌や、ヘロデ党のイースト菌は危ないから気をつけんだぞ!」―― 【イースト菌とは、パンをふくらませるための材料。また、掟に従っていたユダヤ人は毎年春にある過越祭の前日にイースト菌を家から完全に取り除く必要があった】 イエスは仲間に忠告した。


さっそく潜り込んだ使者たちは、いい顔をして質問するために手を挙げた―― 「先生、あなたの教えと言葉は、真実極まりないと存じ上げております。誰がいようが、顔色をうかがうことなく、真っ直ぐに神の道を教えていらっしゃる。


イエスは、そんなシモンを見て考えを察した。 「シモンさん、ちょっと聞きたい事があるんだが」 「は、はい?何でしょうか?」


「真理と生命である、俺が道だ!!! 俺を通らずして、父さんのもとに行けるものはいない!!!


「王ということだな?」 「そう言っているのはあなたです。私は真理を伝えるため、この世に生まれてきました。真理に属すものは、私に従うのです」


自分の意見を見せびらかすなら、褒められたい一心でしかありません。 だが、私を遣わした神の教えに称賛を集めるなら、その人の教えにうそはなく、信頼ができます。


それはただ、私たちのように、神から遣わされて、真心から語る者、救世主の力によって、神の前で語る者だけである。 私たちは、イエスの信者もどきがするように、都合よく最高な知らせを曲げて、売り歩くようなことは絶対にしない。


信じさせるために、あれこれたくらむようなまねはしない。 だましたりはしたくないのだ。イエスについての最高の知らせの純粋な教えを都合よく解釈することも決してしない。 そのような恥ずかしい方法は、絶対に用いない。語る時には、神の前に立って真実を語る。私たちを知っている人はみな、このことを認めてくれるはずだ。


だから、世間の評判や、外見の良し悪しで、イエスの信者を評価するのはやめろ。 以前私は、その誤った考え方で、救世主のことを単に自分と同じ人間とみなしていた。しかし今では、その考えは一変した。


厳しいと思うか。ああ、私は彼らのように甘いことばやお世辞で、人気を得るつもりなど毛頭ない。人気を得たいなら、救世主の家来にはならん。人にではなく、神に認められるために、私は生きている。


エルサレム教会のおもだった指導者たちも、私が伝え広めている内容に、何もつけ加えはしなかった。 つっこんで言うなら、彼らが偉い指導者であることが重要ではない。 神の前では、みな同等だからだ。


私たちは、ただ、神に任命されたから伝えたのだ。 そして、この任務に私たちがふさわしいかどうか神に試され、信頼に値されることを確認されたからこそ任命してくれたのだ。 つまり私たちが語るのは、神の喜ぶことのみ。 だからこそ、人の好みに合わせて内容を変えることなど決してない。 私たちの心は神が見すえている。


しかし、天からの知恵は、まず純粋であり、愛と自信にあふれ、おだやかなやさしさに満ち、すぐに喜んでくれる。 また、いつも思いやりにあふれているので、いつでも人によくしたり、助けたりする準備ができている。 そして、律儀で誠実。


そして、神の一人子が来てくれたおかげで、私たちは真の神を知る力が与えられた。だから今、私たちは、ただ1人の真の神であり、永遠のいのちである神の一人子、イエス・救世主の中にいるのだ。