裁判の真っ最中、ピラトの妻から伝言が届いた。 「“あの方”に何もしないで・・・何も悪いことなどしてません。 昨夜、“あの方”の聖なる夢を見ました・・・今もその胸騒ぎがおさまりません・・・」
ペテロの第一の手紙 3:18 - ALIVEバイブル: 新約聖書 罪を犯した人類のため、無実の救世主は、一度死の苦しみを味わった。 それもこれも、人類を神に導くため。 人として死んだが、彼の魂はすべてを超越する神の魂。 死さえも制して生き返った。 Colloquial Japanese (1955) キリストも、あなたがたを神に近づけようとして、自らは義なるかたであるのに、不義なる人々のために、ひとたび罪のゆえに死なれた。ただし、肉においては殺されたが、霊においては生かされたのである。 リビングバイブル キリストも苦しまれました。罪を犯したことのない方であったにもかかわらず、私たち罪人のために死なれたのです。それは、肉においては死んでも、霊においては生かされて、私たちを神のもとに導くためでした。 Japanese: 聖書 口語訳 キリストも、あなたがたを神に近づけようとして、自らは義なるかたであるのに、不義なる人々のために、ひとたび罪のゆえに死なれた。ただし、肉においては殺されたが、霊においては生かされたのである。 Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳 キリストも、罪のためにただ一度苦しまれました。正しい方が、正しくない者たちのために苦しまれたのです。あなたがたを神のもとへ導くためです。キリストは、肉では死に渡されましたが、霊では生きる者とされたのです。 ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書) 過ちを犯した人類のため、無実の救い主は、一度死の苦しみを味わった。 それもこれも、人類を神に導くためだったのだ。 人としてのイエスは死んだが、神の霊によって生き返った。 聖書 口語訳 キリストも、あなたがたを神に近づけようとして、自らは義なるかたであるのに、不義なる人々のために、ひとたび罪のゆえに死なれた。ただし、肉においては殺されたが、霊においては生かされたのである。 |
裁判の真っ最中、ピラトの妻から伝言が届いた。 「“あの方”に何もしないで・・・何も悪いことなどしてません。 昨夜、“あの方”の聖なる夢を見ました・・・今もその胸騒ぎがおさまりません・・・」
もはや、なす術なし・・・その様子から悟ったピラト。 大暴動が起きてもおかしくないという状況に、水瓶をだし、みんなの前で手を洗った―― 【この出来事から、完全に手を引く、自分の判断ではないと言うことの象徴】 「俺は、この人を殺すという罪には一切関与しない! すべての責任はおまえたちにある!」 と言うと、
神に認められた者が誰なのか、彼らの推測がまちがっていたことを助け主が思い知らせてくれる。 認められた者が俺であることは明白。なぜなら、俺が父さんのもとに行くからだ・・・!!!その時になったら、誰も俺を見ることはない。
神の掟を知っているだけでは、過ちの支配から救い出されることがない。 人間の弱さがゆえに、私たちを救い出すには掟は力足らずだったのだ。 ところが、神は私たちを救うために、別の計画を実行に移された。 つまり、神の一人子を、私たちと同じ体を持つ者として、この世に遣わしたのだ。 そして、彼を私たちの過ちのためのいけにえとした。神は人のいのちを使い、“過ち”に死刑宣告を下したのだ。
救世主の人間としての弱い体は、十字架上で死んだ。 しかし今や、救世主は、神の偉大な力を受けて生きている。 私たちも救世主のように弱い肉体を持っているが、 救世主と同じように神の力によって天国の肉体を手に入れるのだ。 そして、みんなに対処するに十分な神の力を、もらっているのだ。
ところが、私たちが自分の過ちのゆえに受けなければならなかった呪いを救世主が代わりに受けてくれたのだ。 そして、滅びる以外にない状態から、私たちを救い出してくれた。 「木にかけられる者はだれでも、呪われる」―― 【聖書:申命記21:22-23より引用】 と聖書にあるとおり、イエスは十字架にかかってくれたのだ。
まして救世主の血は、どれほど確実に、私たちの心と生活を変えることか! 救世主は不滅の神の霊の力によって、完璧ないけにえとなった。 流してくれた血は、私たちが過去に犯した間違いをすっきりきれいに洗い流してくれた。 私たちが澄みきった真心から、生ける神を讃えられるようになるためだ。
もしそうであれば、世の初めから、何度も死ななければならなかったことになる。 しかし、そうではない。この方は、もうすぐで終わるこの世にやってきて、自分を一度だけささげることで、すべての罪を永遠に無効としたのだ。