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コリント人への第二の手紙 13:4 - ALIVEバイブル: 新約聖書

4 救世主の人間としての弱い体は、十字架上で死んだ。 しかし今や、救世主は、神の偉大な力を受けて生きている。 私たちも救世主のように弱い肉体を持っているが、 救世主と同じように神の力によって天国の肉体を手に入れるのだ。 そして、みんなに対処するに十分な神の力を、もらっているのだ。

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Colloquial Japanese (1955)

4 すなわち、キリストは弱さのゆえに十字架につけられたが、神の力によって生きておられるのである。このように、わたしたちもキリストにあって弱い者であるが、あなたがたに対しては、神の力によって、キリストと共に生きるのである。

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リビングバイブル

4 キリストの、人間としての弱い体は十字架上で死にました。しかし今、キリストは、神の偉大な力を受けて生きておられます。私たちもキリスト同様、肉体的には弱い者でしたが、今は、キリストに似て、強くされた者となっています。そして、あなたがたに対処するに十分な神の力をいただいているのです。

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Japanese: 聖書 口語訳

4 すなわち、キリストは弱さのゆえに十字架につけられたが、神の力によって生きておられるのである。このように、わたしたちもキリストにあって弱い者であるが、あなたがたに対しては、神の力によって、キリストと共に生きるのである。

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Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳

4 キリストは、弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力によって生きておられるのです。わたしたちもキリストに結ばれた者として弱い者ですが、しかし、あなたがたに対しては、神の力によってキリストと共に生きています。

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ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書)

4 救い主は人という弱さを着たまま十字架の上で死んだ。しかし、今は神の力によって生きている。同じように私たちもその弱さを持っている。しかし、あなた達の前に立つ時、私たちは神の力によって彼と共に生きる。

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聖書 口語訳

4 すなわち、キリストは弱さのゆえに十字架につけられたが、神の力によって生きておられるのである。このように、わたしたちもキリストにあって弱い者であるが、あなたがたに対しては、神の力によって、キリストと共に生きるのである。

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コリント人への第二の手紙 13:4
26 相互参照  

だれも私の意に反して、私を殺すことはできません。 自分から進んで、しかも無償で生命を差し出すのです。 私には、命を捧げる権力、そして生き返る力があるからです。そう父さんに言われました」


イスラエルの民が知るべきことはこうだ・・・。あなたがたが十字架にかけてしまったイエスこそが神に選ばれし王なのだッ!!!」


おまえたちがよく知っているこの男が歩けるようになったのは、イエスの名に信頼をよせたからだ。彼を見ろ、おまえたちが見ている非現実的な光景は、イエスを信じるがゆえに起こったのだ・・・!!!


そして、神の霊の力によって死から復活したあと、神の一人子として全世界を治める権力を授けられた男。 我らの王、イエス・救世主だ。


救世主は、死んだ人と、生きている人の王となるために、死に、そして、復活したのだ!


我欲を愛する古い性質は、私たちが洗礼を受けた時、イエスと共に葬り去られ、彼とともに死んだ。 そして、父なる神が、栄光の力でイエスを復活させてくれたように、みなさんは、イエスの新しくすばらしい生命を神に与えられたおかげで新たな人生を歩めるようになったのだ。


この、いわゆる“バカらしい神の計画”は、最高の知識人の最も賢明な計画をはるかに勝り、“イエスの十字架上の死”という神の弱さは、どんな人間の強さよりも強いのだ。


今の体は、病気や死で、私たちを悩ます。しかし、復活の時には、それは栄光に満ちたものとなるのだ。 確かに、今は死ぬべき弱い体だが、復活の時には、力にあふれた体となるのだ。


私は弱々しく、ためらい、震えながら、みなさんのところへ行った。


神は、王なるイエス・救世主を復活させたのと同じ力で、私たちの体をも、死人の中から復活させようとしている。


また、こう言う人もいる。 「パウロの手紙はきつすぎる割には、面と向かっては軟弱で、言ってることも大したことない」


すべては救世主のためであることを知っているので、その“とげ”も、侮辱も、苦しみも、迫害も、困難も、大いに喜んでいる。 なぜなら、弱い時にこそ、私は強いからだ。無力であればあるほど、それだけしっかりと、救世主によりすがるようになるからだ。


自分は弱くて軽べつされても、みんながほんとうに強くなってくれれば、うれしいのだ。 最大の願いと祈りは、みんなが一人前のイエスの信者になってくれることだ。


私は救世主とさらに関係を築き、今でも彼を生き返らせた力を、身をもって体験すること以外何もいらない。 そして救世主の痛みを分かち合い、できるだけ彼のようになりたい。それが死につながろうとも。


イエスはこの地上にいたとき、死から救うことのできるただ1人の神に、嘆き、涙を流して祈った。 そして、イエスの神に対する多大なる敬意が買われ、その祈りは神にまで届いたのだ。


罪を犯した人類のため、無実の救世主は、一度死の苦しみを味わった。 それもこれも、人類を神に導くため。 人として死んだが、彼の魂はすべてを超越する神の魂。 死さえも制して生き返った。


今、イエスは天で、神の右に着座し、すべての天使軍と、権限、権力を従えている。


私たちに従ってください:

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