ヘブル人への手紙 10:10 - ALIVEバイブル: 新約聖書 この新しい計画にそって、ただ一度死に、それによって、私たちは犯した過ちが赦され、きよくされたのだ。 Colloquial Japanese (1955) この御旨に基きただ一度イエス・キリストのからだがささげられたことによって、わたしたちはきよめられたのである。 リビングバイブル この新しい計画にそって、キリストはただ一度死なれ、それによって私たちは罪を赦され、きよくされているのです。 Japanese: 聖書 口語訳 この御旨に基きただ一度イエス・キリストのからだがささげられたことによって、わたしたちはきよめられたのである。 Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳 この御心に基づいて、ただ一度イエス・キリストの体が献げられたことにより、わたしたちは聖なる者とされたのです。 ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書) イエス・キリストは神が望む通り、すなわちキリストの身体を犠牲にすることで私たち人間が聖なる者となることを許されたのだ。キリストが一度犠牲となった。それで全て十分なのだ。 聖書 口語訳 この御旨に基きただ一度イエス・キリストのからだがささげられたことによって、わたしたちはきよめられたのである。 |
それならなおさら、神の一人子を踏みつけ、過ちをきよめるイエスの血を汚れたものとみなし、神の情けを人に注ぐ神の霊を侮辱し、はずかしめる者には、どんなに恐ろしい刑罰が下るか、胸に手をあて、よく考えてみるんだ。
普通の祭司は、神の前に出る時、まず自分の犯した過ちをきよめるために、そして人の過ちのために、毎日、動物のいけにえの血をささげる必要があった。 しかしイエスにその必要は全くなかった。 人生をかけてささげた生け贄は一度きり。 なぜなら、十字架にかかって自分をいけにえとしてささげ、ただその一度の行為で、すべてを成し遂げたからだ。
しかも、ただ一度、血を携えて奥の<至聖所>に入り、それを<恵みの座>にふりかけた。 それも、やぎや子牛の血ではなく、自分の血を。 この方は自らそうすることによって、私たちの永遠の救いを保証してくれた。
まして救世主の血は、どれほど確実に、私たちの心と生活を変えることか! 救世主は不滅の神の霊の力によって、完璧ないけにえとなった。 流してくれた血は、私たちが過去に犯した間違いをすっきりきれいに洗い流してくれた。 私たちが澄みきった真心から、生ける神を讃えられるようになるためだ。
もしそうであれば、世の初めから、何度も死ななければならなかったことになる。 しかし、そうではない。この方は、もうすぐで終わるこの世にやってきて、自分を一度だけささげることで、すべての罪を永遠に無効としたのだ。
イエスは、水と血で救世主としてやってきたことを証明した―― 【“水”とは、イエスが洗礼を受けた時に神が自分の一人子だと証言した場面を表し、“血”は、イエスが十字架にかかって死んだことを表している】 そうだ、水だけでなく“血”でだ。嘘偽りのない神の霊がそう証言している―― 【イエスに神の霊が入ったのは、この洗礼の時であった。“神の霊がイエスを離れ去ったためにイエスは殺された”とデマを流す人たちがいたためにこう記したのだ】