Biblia Todo Logo
オンライン聖書
- 広告 -




ヨハネによる福音書 6:51 - ALIVEバイブル: 新約聖書

51 私が、その、天から下って来た、生きためしです。 このめしを食べる人はだれでも、永遠に生きる。 このめしは、私の体。 この身をささげよう、人類が生きるために!!!」

この章を参照 コピー

Colloquial Japanese (1955)

51 わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は、いつまでも生きるであろう。わたしが与えるパンは、世の命のために与えるわたしの肉である」。

この章を参照 コピー

リビングバイブル

51 わたしが、その天から下って来たいのちのパンなのです。このパンを食べる人はだれでも永遠に生きます。このパンは、人類の救いのためにささげるわたしの体なのです。」

この章を参照 コピー

Japanese: 聖書 口語訳

51 わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は、いつまでも生きるであろう。わたしが与えるパンは、世の命のために与えるわたしの肉である」。

この章を参照 コピー

Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳

51 わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」

この章を参照 コピー

ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書)

51 わたしがその天から下って来た生きたパンだ。このパンを食べる人はだれでも永遠に生きる。このパンは、わたしの体!わたしはこの身を・・・わたしの体を、人類が生きるためにささげる!」

この章を参照 コピー

聖書 口語訳

51 わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は、いつまでも生きるであろう。わたしが与えるパンは、世の命のために与えるわたしの肉である」。

この章を参照 コピー




ヨハネによる福音書 6:51
30 相互参照  

“この人”のように。 “この人”は仕えられるためではなく、『仕えるために来た』!!! その命と引き換えに多くの人を救うために!!!」


次にイエスはパンを取り、それを神に感謝した。それからそのパンを裂くと、使徒たちに配った。 「このパンはおまえたちのために捧げる俺の体だ。俺を記念して食べるんだ」


全ての源は人となり、私たちとともに生きた。 私たちは目の当たりにした。 神がかった“彼”の偉大さを。 一人子がまとった父の栄光を。 神の恵みと真理で溢れた“彼”を。


翌日―― 洗礼者ヨハネは、自分のもとへ向かってくるイエスを見ると言った―― 「見よ!世の過ちをぬぐいさる神さんの子羊でやんす!!!


俺を信じて生きるなら、本当の意味では死なない。マルタ、これを信じるか?」


天にいる神のもとへ昇ることができるのは、天から降りて来た“この人”だけだ。


モーセが荒野で青銅のヘビをかかげたように、“この人”もかかげられなければならない」―― 【聖書:民数記21:4-9より引用。神の民がヘビに噛まれ、ひん死状態のとき、神は青銅の蛇を棒につけてかかげるよう、モーセに命じた。それを見た人すべてが、完治したのだ】


実に神は、一人子をさえ惜しまず与えるほどに、世の人間を愛してくれた。 つまり、神の一人子を信じる者が、だれ一人滅びず、永遠の命を得るためだ!!!


一人子さん信ずる者、永遠の命与えられし。 一人子に従わぬ者、神の鉄槌討たれて滅ぶ運命よ・・・そこから逃げることなどできぬ!!!」


保証しよう、俺の言うことを聞き、俺を遣わした神を信じる人には、永遠の命がある。 彼らはすでに“死”を置いて、“いのち”へ入ったのだ。


神から与えられた真のめしとは、天国から降りて来てこの世に生命を与えるのだ・・・!」


「命を与えるめし“は”私のことだ・・・!!! 私のもとに来てお腹を空かす人はおらず、俺を信じる人は、決して渇きはしない!!!


「天国より降りてきためしとは“わたし”だと!!!」 これを聞いてイエスの文句を口にし始めるユダヤ人がちらほら。


断言しましょう! 私を信じて従う者には永遠の命があると!!!


命を与えるめしは、この私だからです!!!


だが、天から下ったこのめしを食べる人が死ぬことはない・・・!!!


聖書にあるとおり、誰でも私を信じるなら、心から生きた水が川のように流れでる!!!」


つまり、神は救世主をとおして、世の人間と平和を結んだ。 神に反した過ちを犯したすべての人間に“赦し”をオファーした。 そしてこの平和の最高な知らせを広めるようにと、伝言が託された。


というのは、神は、過ちのない救世主に私たちの過ちを背負わせ、それと引き換えに、私たちに恵みを注いでくれたからだ。


愛を生き様にするのだ。救世主が私たちを愛したように人を愛すのだ。 人生を私たちの為に捧げてくれた救世主の愛。 この愛は神を喜ばせた捧げものだった。 その匂いはなんと甘いことか。


また、夫は、教会のためにいのちを捨てるほどの愛を示してくれた救世主にならって、妻を愛しなさい。


過ちに捕らわれ、身動きの取れなかった私たちのためにイエスは死んで救ってくれた。私たちを、イエス“のみ”に属し、神と人のために生きたくてたまらない者にするためだ。


この新しい生命に至る道は、イエスが、自分の体という幕を引き裂くことによって、神との関係への道を切り開いてくれた。


人はこの柱をつっぱねたが、救世主に近づけ。 救世主は生きた土台石であり、神はその上に、家を建てるからだ。


我々を含む全人類の過ち、闇を取り除けるのは光であり、自らその犠牲となって下さったイエスの道のみ!


本当の愛とは、神に対する私たちの愛ではなく、私たちに対する“神の愛”なのだ!われわれ人類の過ちをぬぐい去るために神は一人子を送りだした。


私たちは父さんが救世主としてこの世に送った一人子を目にし、それを告げ知らせているのだ。


私たちに従ってください:

広告


広告