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ヘブル人への手紙 9:12 - ALIVEバイブル: 新約聖書

12 しかも、ただ一度、血を携えて奥の<至聖所>に入り、それを<恵みの座>にふりかけた。 それも、やぎや子牛の血ではなく、自分の血を。 この方は自らそうすることによって、私たちの永遠の救いを保証してくれた。

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Colloquial Japanese (1955)

12 かつ、やぎと子牛との血によらず、ご自身の血によって、一度だけ聖所にはいられ、それによって永遠のあがないを全うされたのである。

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リビングバイブル

12 しかも、ただ一度、血を携えて至聖所に入り、それを「恵みの座」にふりかけました。それはやぎや子牛の血ではなく、ご自分の血でした。キリストは自らそうすることによって、私たちの永遠の救いとなる贖い(身代わりによって罪を赦し、救い出すこと)を成し遂げられたのです。

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Japanese: 聖書 口語訳

12 かつ、やぎと子牛との血によらず、ご自身の血によって、一度だけ聖所にはいられ、それによって永遠のあがないを全うされたのである。

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Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳

12 雄山羊と若い雄牛の血によらないで、御自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです。

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ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書)

12 キリストはかつて一度、その最も聖なる場所に入ったことがある。一度だけ!いや一度で十分だったのだ。彼はヤギや若い牛といった動物の血を使うことなく、自らの血をもってその最も聖なる場所に入って行った。こうして、イエスのこの行動により、私たち人間は過ちから永遠に自由とされたのだ。

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聖書 口語訳

12 かつ、やぎと子牛との血によらず、ご自身の血によって、一度だけ聖所にはいられ、それによって永遠のあがないを全うされたのである。

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ヘブル人への手紙 9:12
32 相互参照  

だがな、神の霊が成す、素晴らしい働きを冒涜するとなれば、話が違う。その人が赦されることは永遠にないだろう。その過ちがもたらす罪悪感は永遠に消えない・・・!!!」


「わしらの王を褒め讃えよッ! 神様は地上に来てわしらを救い、自由にしたッ!


神に与えられた人たちや自分自身に気を配れる者でいるように。この教会の羊たちを見守る役割をおまえたちに授けたのは神の霊だ。教会の羊、それは指導者に従う人たちのこと。 いいか、神の教会のために羊飼いとなれ・・・彼らは、イエスの流した血を代価に神が買い取った人たちだ・・・!


神の一人子の血を流してまで、私たちを自由にし、過ちを帳消しにしてくれるほど、神の愛と恵みは大きいのだ。


闇から解放されるための代価を、この一人子が払い、私たちの過ちは完全に赦されたのだ!


また、神の一人子の到来を待ち望む熱心さについてもだ。 神が死から蘇らせた一人子、その名はイエス。神の恐るべき鉄槌から救い出してくれる、唯一の救世主!


過ちに捕らわれ、身動きの取れなかった私たちのためにイエスは死んで救ってくれた。私たちを、イエス“のみ”に属し、神と人のために生きたくてたまらない者にするためだ。


神の一人子は、神の微笑みを浴びながら、まばゆいばかりに輝き、その人格と行動すべてにおいて、神であることを示している。 さらには、力あることばによって、宇宙を統べている。 そればかりか、私たちのいっさいの過ちの記録を消し去るべく、死んでくれたのだ。 そして今は、最高の栄誉を受けて、天にいる偉大な神のそばに、座っているのだ。


だから、教会のみなさん。 今や私たちは、イエスが流してくれた血のおかげで、神のおられる<至聖所>に、堂々と入れるのだ!


雄牛とやぎの血では、実際に犯した過ちを取り除けないからだ。


イエスも、町の外で苦しみを受けて死なれた。この町の外で流された血によって、私たちは神と関係を築く権利が与えられたのだ。


この体験を通し、自分の完全さを証明し、その上で、自分に従うすべての人に永遠の救いを与える者となったのだ。


普通の祭司は、神の前に出る時、まず自分の犯した過ちをきよめるために、そして人の過ちのために、毎日、動物のいけにえの血をささげる必要があった。 しかしイエスにその必要は全くなかった。 人生をかけてささげた生け贄は一度きり。 なぜなら、十字架にかかって自分をいけにえとしてささげ、ただその一度の行為で、すべてを成し遂げたからだ。


もし、古い制度のもとで、雄牛ややぎの血、あるいは若い雌牛の灰が、人の体を犯した過ちからきよめることができるとすれば、


まして救世主の血は、どれほど確実に、私たちの心と生活を変えることか! 救世主は不滅の神の霊の力によって、完璧ないけにえとなった。 流してくれた血は、私たちが過去に犯した間違いをすっきりきれいに洗い流してくれた。 私たちが澄みきった真心から、生ける神を讃えられるようになるためだ。


救世主は、私たちと神様との関係を完全に新しくしに来た。 それで、神に招かれる人はみな、約束されたすばらしい祝福に、いつまでもあずかることができるのだ。 なぜなら、古い条約のもとで犯した過ちの刑罰から救い出すために、救世主は死んでくれたからだ。


まず、モーセは、民に神の掟をことごとく語り聞かせてから、子牛とやぎの血を水にまぜ、ヒソプの枝と紅色の羊毛とにつけて、掟の書と民全体にふりかけた。


救世主も、多くの人の犯した過ちのために自身を捧げ、一度だけ死んでくれた。 そして、次は、人間の過ちを取り除くためではなく、彼を待ち望む人を救うためにくるのだ!


ただし、奥の第2の部屋には、大祭司だけが、年に一度だけ入れた。 そのとき彼は、血を携えて行かなければならない。 その血は、彼と民全体があやまって犯した過ちをきよめるための供え物として、<恵みの座>にふりかけられた。


そして、忠誠を尽くした証人、イエス・救世主から。 このイエス・救世主は、死人の中から一番最初に復活されたお方だ。 地上のどの王よりも天と地の差で勝る王であり、私たちに変わらぬ愛を注ぎ、人生が有罪だった私たちを無罪放免にするため、自らの血を流してくれた。


彼らは子羊に新たな歌を、高らかに歌っていた。 「あなたこそ、巻物を受け取って封印を破り♪ 開くのにふさわしい方♫ あなたは殺されましたが♪ その血によって、あらゆる民族、種族、国の中から♫ 神のために、人々を買い戻してくださいました♪


私たちに従ってください:

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