神の掟を守ることで救われようと努力しても、神の怒りの鉄槌が下されるのがオチ。 なぜなら、神の掟を守ることで受け入れてもらうことは不可能だからだ。 掟を破らないためには、破るような掟を持たないに限る。
ガラテヤ人への手紙 2:19 - ALIVEバイブル: 新約聖書 私は掟によってルールの下敷きになっていた。 私は神のために生きるため、救世主と共に十字架にかかり、心を縛っていた掟は死んだ。 Colloquial Japanese (1955) わたしは、神に生きるために、律法によって律法に死んだ。わたしはキリストと共に十字架につけられた。 リビングバイブル というのは、いくら律法に従おうと努力しても――それは失敗以外にないのです――神の恵みは決して受けられないことがわかったからです。キリストを信じて初めて、神に受け入れられることがはっきりわかったのです。 Japanese: 聖書 口語訳 わたしは、神に生きるために、律法によって律法に死んだ。わたしはキリストと共に十字架につけられた。 Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳 わたしは神に対して生きるために、律法に対しては律法によって死んだのです。わたしは、キリストと共に十字架につけられています。 聖書 口語訳 わたしは、神に生きるために、律法によって律法に死んだ。わたしはキリストと共に十字架につけられた。 |
神の掟を守ることで救われようと努力しても、神の怒りの鉄槌が下されるのがオチ。 なぜなら、神の掟を守ることで受け入れてもらうことは不可能だからだ。 掟を破らないためには、破るような掟を持たないに限る。
神の掟が与えられて人の自己中さは悪化した。 人は自分がいかに神の標準にほど遠い存在か、よくわかるようになったのだ。 しかし、私たちは、自分の自己中さを知れば知るほど、その罪を赦してくれる神の恵みがどんなに大きいのか、いっそうわかる。
だから、みなさんの古い自己中な性質は死んだもの、過ちの力に反応しなくなったものとみなしなさい。 そして、その代わりに、イエス・救世主によって、神の心に敏感に応答して生きるものとみなすのだ。
わが兄弟たちよ、同じようにだ。あなたが救世主と共に死んだ時、あなたは掟から自由にされ、救世主と結ばれた。それで私たち全員が死から復活した救世主の体の一部となり、神の実を結ぶにいたったのだ。
ユダヤ人と一緒にいる時は、ユダヤ人のようにふるまう。それによって、彼らが最高の知らせに耳を傾け、救われるためだ。 私は掟の下にいないが、掟の下にいる人たちと一緒にいるときは、私も掟の下にいる人のようになった。 何とかして、彼らが救われるためだ。
掟に頼って救われようとする者は、神に呪われる。 なぜなら、聖書には、 「神の律法の書にある掟の全てを守らぬ者は、呪われる」―― 【聖書:申命記27:26より引用】 とはっきり書いてあるからだ。
言い替えるなら、掟は、救世主が来て救ってくれるまで子どもの監視役を務める奴隷だった。しかし来たからには、用なしだ―― 【当時は子どもが13歳から14歳になるくらいまで、家の主に仕えていた奴隷が子育てを任されていた】
そんなことを私は死んでも自慢したくない。 私に自慢できるのは、王なるイエス・救世主の十字架のみ。 この十字架のおかげで、人に認められようとする昔の自分は死んだ。 世の中の洗脳から解放されたのだ。
まして救世主の血は、どれほど確実に、私たちの心と生活を変えることか! 救世主は不滅の神の霊の力によって、完璧ないけにえとなった。 流してくれた血は、私たちが過去に犯した間違いをすっきりきれいに洗い流してくれた。 私たちが澄みきった真心から、生ける神を讃えられるようになるためだ。