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ペテロの第一の手紙 1:8 - ALIVEバイブル: 新約聖書

あなたがたは見たこともない救世主を愛している。 今はまだ、見たこともない救世主を信じている。 だからこそ、言葉にできない天の喜びで満たされている。

この章を参照

Colloquial Japanese (1955)

あなたがたは、イエス・キリストを見たことはないが、彼を愛している。現在、見てはいないけれども、信じて、言葉につくせない、輝きにみちた喜びにあふれている。

この章を参照

リビングバイブル

あなたがたは、イエス・キリストを見たことがないのに愛しており、いま見ていないのに信じています。そして、天からの、ことばに表せない栄光に満ちた喜びに浸っているのです。

この章を参照

Japanese: 聖書 口語訳

あなたがたは、イエス・キリストを見たことはないが、彼を愛している。現在、見てはいないけれども、信じて、言葉につくせない、輝きにみちた喜びにあふれている。

この章を参照

Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳

あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。

この章を参照

ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書)

みなさんは今まで見たこともない救い主を愛している。今はまだ見ることのできない救い主を信じているのだ。だからこそ、あなた達は言葉にできない天の喜びで満たされている。

この章を参照

聖書 口語訳

あなたがたは、イエス・キリストを見たことはないが、彼を愛している。現在、見てはいないけれども、信じて、言葉につくせない、輝きにみちた喜びにあふれている。

この章を参照



ペテロの第一の手紙 1:8
37 相互参照  

俺を愛す以上に父や母、息子や娘を愛す者は、 俺の仲間にふさわしくない!!!


「俺を愛するなら、俺の意志を継ぐ。


俺を上辺ではなく真に愛するものは、俺のことばを知っているだけでなく、俺のことばに従う。こんな人を父さんも俺も愛す。そして、彼らには俺の存在を現わそう」


逆に俺を愛さない人が俺の意志をつぐことはない。 俺のことばを守らない人は、俺を愛していない。 俺は、自分で考え出したことを話しているわけじゃあない。 俺を遣わした父さんが教えてくれたことを話しているのだ。


今は悲しみでいっぱいだろう。だが俺は、もう一度おまえたちに会う。 その時おまえたちは、だれにも奪われない喜びにあふれるのだ。


「俺を見て信じるか。究極の祝福は、俺を見ずに信じる者にある!!!」


「神があなたの父なら、私を愛します。 神のもとから来たからです。 私の権限ではなく神に遣わされ、今、ここに、いるのですから。


なぜなら、私たちイエスの信者にとって大切なのは、何を食べ、飲むかではなく、正しさと、平安と、神の魂から来る喜びとに、満ちあふれているかどうかだからだ。


あなたがたが希望を注ぐ神に信頼を抱くとき、天の喜びと平安で満たされるように!そして神の霊の力で期待感いっぱいに溢れるように!


イエス様を心から愛さず、従わぬ敵が、神から永遠に迷子のまま追放されるように。 王よ、来たれ!


神のものとなった証拠の印を押してくれた。私たちの心に神の霊を入れることで。 そう、これが私たちへの永遠の命を保証する、神からの最初の贈り物だ。


そこで、人間にはとうてい表現できない、驚くべきことを目撃し、また耳にした。 とにかく、その内容を人に話すことは、禁じられている。


だから私たちは、いま見えるもの、すなわち、身の回りの苦しみには目をとめない。むしろ、今は見えない天にある財宝を望み見るのだ。 見えるものは、はかなく消え、見えないものは永遠に続く!


実際に見ることによってではなく、信じることによって、これを事実と認めている。


神が恵んでくれた一人子という、言い表わせないほどすばらしい贈り物を感謝しよう!


しかし、神の霊に人生の主導権をわたすなら、このような結果が生まれる。 それは、愛、喜び、精神的安定、辛抱強さ、親切心、善意、律儀、


イエス・救世主から永遠のいのちをもらった私たちにとって割礼を受けたかどうか、ユダヤ教の掟を守っているかどうか、など全く関係ない。 私たちに必要なのは、愛によって生まれる神への信頼のみ。


さらに、それを身をもって経験できるように。 もっとも、この愛はあまりにも大きいので、それを見極め、完全に把握することは、とても不可能だが。 こうして、あなたがたはついに、神自身によって満たされるのだ。


我らの主イエス・救世主を絶えなく愛するみなさんが恵まれんことを。 パウロより


そう、私にはまだ、生きる使命がある。みんなに神と信頼を築く喜びをさらに知ってもらうために、もうしばらく生きながらえるだろう。


生まれや育ち、資格や経験など自分の力は、救いのあてにはならない。 神の霊を通して神を讃える私たちこそが救われた神の子! いいか、イエスの信者が誇れることは、イエスの仲間であること以外ない。


イエス様がともにいることをいつも喜べ!もう一度言おう。喜べ!


信仰とは、願い事が必ずかなえられるという、不動の確信のことだ。 また、どうやって起こるかわからない行く手にも、望みどおりのことが必ず待ち受けていると信じて、疑わないことである。


モーセは、神に信仰があったので、王の怒りをも恐れず、エジプトの地をあとにした。わき目もふらずに、まるで、いっしょに歩まれる神の姿を見ているかのように、前進した。


考えるだけで心がおどる!この短い人生が困難いっぱいであってもだ!


信じる人にとって、栄冠をもたらしてくれるのは土台石。 信じない人にとっては、 「建築士の捨てた石が、 土台石となった」―― 【聖書:詩篇118:22より引用】 と、聖書にあるとおりだ。


そうすれば、偉大な羊飼い、救世主がやってくる時、褒美として永遠に朽ちない栄光の冠をいただけるのだ。