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ローマ人への手紙 5:6 - ALIVEバイブル: 新約聖書

私たちに希望もなにもないとき、神をシカトしていた自己中な私たちのために、救世主はやって来て、そして死んでくれた。

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Colloquial Japanese (1955)

わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは、時いたって、不信心な者たちのために死んで下さったのである。

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リビングバイブル

私たちが逃れる道もなく、行き詰まっていた時、キリストはおいでになり、何のとりえもない、私たち罪人のために死んでくださいました。

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Japanese: 聖書 口語訳

わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは、時いたって、不信心な者たちのために死んで下さったのである。

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Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳

実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。

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ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書)

私たちに希望も何もなかった時に、神を無視していた自己中心的な私たちのためにキリストはやって来た。そして、私たちのために死んでくれた。

この章を参照

聖書 口語訳

わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは、時いたって、不信心な者たちのために死んで下さったのである。

この章を参照



ローマ人への手紙 5:6
30 相互参照  

そうやって神の民はみな救われるのだ。 これについて、預言者は何と言っているか。 「1人の救い手がシオンから出て、 ユダヤ人のあらゆる悪の手を取り払う。


イエスは私たちの罪を着るために死へと引き渡された。 そして、私たちを神に繋げるため、死から蘇ったのだ。


努力で神に認められることはできない。神を信頼することで認められるのだ。 神は極悪人ですら更生させる。


私たちが神の敵であった時に、神の一人子の死によって、神のもとに連れ戻されたくらいだから、私たちが神の友となり、神の息子が私たちの内に生きている今、どんなにすばらしい祝福が備えられていることだろう。


人のために死ねる人は少なくとも、いるだろう。だが、敵のために死ぬ人はいない。


しかし、神の偉大な愛は違った。 私たちがまだ、自己中だったとき、つまり神の敵だったときに、救世主は私たちのために死んでくれたのだ。


たった1人の息子さえ惜しまずに、死に渡してしまわれたほどの神が、そのほかすべてのものを与えてくれないわけがあろうか?


私たちが有罪だと、いったい誰が言える? 存在しえない! イエス・救世主は、私たちのために死んでくれたのだから。 そして何より、蘇って天で、神の右の最も名誉ある座で、私たちを弁護してくれているのだぞ!


もはや、私の中にあった我心が死に、救世主に与えられた心が生き生きしているのだ。 私の心が生きているのはただ、忠実な神の一人子が私を愛し、身を捧げてくれたおかげだ。


しかし、時が熟すと、神が女を通して一人子を遣わした。そして彼は完全に掟の下にあった。


愛を生き様にするのだ。救世主が私たちを愛したように人を愛すのだ。 人生を私たちの為に捧げてくれた救世主の愛。 この愛は神を喜ばせた捧げものだった。 その匂いはなんと甘いことか。


みなさんの魂は死んでいた。自己中な性質を断ち切れないがために神に属していなかったからだ。しかし神はイエスと共に新たな命を与えた。そう、私たちの過ちを完全に赦してくれたのだ。


なぜなら、神は、怒りをぶちまけるために私たちを選んだのではなく、王なるイエス・救世主によって救われるために、選ばれたのだから。


だが、掟は良い行いをする人のためにたてられたものではない。 掟を破り、それに従わないもののためにたてられているのだ。 罪人、すなわち過ちを犯した者や、神に反する人のため、 霊的なものに興味がない人やイエスを信じない人のため、 両親や他の人間を心身問わず殺す人のためだ。


神の恵みに鍛えられ、自己中心的な生き方とおさらばできた。欲のままに生きる生活から足を洗い、日々、神を敬う正しく賢明な生活を送れるようになったのだ。


供え物といけにえとを神にささげるのが大祭司の務め。 だから、我らの大祭司イエスも、いけにえを捧げる必要があった。


もしそうであれば、世の初めから、何度も死ななければならなかったことになる。 しかし、そうではない。この方は、もうすぐで終わるこの世にやってきて、自分を一度だけささげることで、すべての罪を永遠に無効としたのだ。


神はこのために、世が始まる前から、救世主を選んでいた。 そして、この<終わりの時代>に、みなさんへの祝福として、だれの目にも見える形で、救世主を遣わされたのだ。


この神とすべての源によって天地は回るが、生かすも殺すも神次第。 最後の審判の日に天地と神の心に反する人は、火で焼き滅ぼされる。


人類を裁きにきた。 神様に反する言動や行動をとった恩知らずを裁きに」


「この世が終わる日になれば、神を鼻であしらって反抗する人たちが出てくる」だったな。 連中は我欲のまま走り、


こう言うのも、神を恐れないえせイエスの信者が、みなさんの中に忍び込んでいるからだ。 「イエスの信者となったからには、過ちは赦された。それならやりたい放題した者勝ちだ。」 彼らはこんなごたくを並べる。 私たちの唯一の師匠であり王である、イエス・救世主に背を向けたのだ。ずっと昔から、聖書に書かれているとおり、すでに有罪判決を受けた連中だ。