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ローマ人への手紙 5:10 - ALIVEバイブル: 新約聖書

10 私たちが神の敵であった時に、神の一人子の死によって、神のもとに連れ戻されたくらいだから、私たちが神の友となり、神の息子が私たちの内に生きている今、どんなにすばらしい祝福が備えられていることだろう。

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Colloquial Japanese (1955)

10 もし、わたしたちが敵であった時でさえ、御子の死によって神との和解を受けたとすれば、和解を受けている今は、なおさら、彼のいのちによって救われるであろう。

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リビングバイブル

10 私たちが神の敵であった時でさえ、ひとり子の死によって、神のもとに連れ戻されたくらいですから、私たちが神の友となり、神が私たちのうちに生きておられる今は、どんなにかすばらしい祝福が備えられていることでしょう。

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Japanese: 聖書 口語訳

10 もし、わたしたちが敵であった時でさえ、御子の死によって神との和解を受けたとすれば、和解を受けている今は、なおさら、彼のいのちによって救われるであろう。

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Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳

10 敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。

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ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書)

10 要するにこうだ・・・まだ私たちが神の敵であった時、神のひとり子の死によって私たちは神と和解し、そして神の友となった。だからこそイエスが生きている今、神の友である私たちがひとり子のいのちのおかげで救われるのは確かな話ではないか。

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聖書 口語訳

10 もし、わたしたちが敵であった時でさえ、御子の死によって神との和解を受けたとすれば、和解を受けている今は、なおさら、彼のいのちによって救われるであろう。

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ローマ人への手紙 5:10
29 相互参照  

もうすぐ、俺はこの世を去るが、おまえたちとはいっしょだ。 俺が生きるがゆえに、おまえたちは生きる!


命を吹き込むのは父さんであり、その権限を一人子にも与えた。


誰であれ、一人子を見て、信じて従う者には永遠の命がある!彼らをこの世が終わる日に生き返らせること。 これぞ、父さんの意志!!!」


私は、私をお遣わしになった、生ける神の力によって生きている。同じように、私を食べる人は、私によって生きるのです。


今のところ、ユダヤ人の多くは、神からの最高の知らせに敵対し、それを憎んでいる。 しかし、そのことはかえって、みなさんには益となった。 というのは、神はその贈り物を、みなさん外国人に与えてくれたことになったからだ。 しかし、ユダヤ人は、神がアブラハム、イサク、ヤコブに与えた約束の故に、今でも愛されているのだ。


我らの王なるイエス・救世主をとおして救われただけでなく、神の友達になれたのだ!今や私たちは、驚くべきことに世界最高の存在である、神と友好関係を楽しんでいるのだ!


私たちに希望もなにもないとき、神をシカトしていた自己中な私たちのために、救世主はやって来て、そして死んでくれた。


たった1人の息子さえ惜しまずに、死に渡してしまわれたほどの神が、そのほかすべてのものを与えてくれないわけがあろうか?


私たちが有罪だと、いったい誰が言える? 存在しえない! イエス・救世主は、私たちのために死んでくれたのだから。 そして何より、蘇って天で、神の右の最も名誉ある座で、私たちを弁護してくれているのだぞ!


なぜこれが真実と言えようか?誰でも、自分の考えが過ちの性質に影響されているのなら、神と戦っていることになる。そのうち、神の掟から離れる。そしてもちろん、それを守ることはできないのだ。


私たちは救世主の大使である。 神が、私たちの口から語りかける。 あたかも、救世主がここで懇願しているかのように頼む。 どうか、せっかく差し出された愛を拒まず、神と和解してくれ。


というのは、神は、過ちのない救世主に私たちの過ちを背負わせ、それと引き換えに、私たちに恵みを注いでくれたからだ。


私たちはイエスの十字架の死によって、対立していた2つのグループが一つの体となり、神と和解でき、両者間の憎しみを取り除いた。


私たちもみな、以前はほかの人たちと変わらなかった。その生活ぶりは、心にある悪を反映したものだった。欲望や悪意のおもむくままに、あらゆる悪事を重ねていたのだ。 私たちは、生まれつき持った自己中な性によって悪へと突っ走り、他のすべての人と同様、神の怒りの鉄槌を受けるべき対象だった。


イエスには、あらゆる点で兄弟である私たちと同じになることが、必要不可欠だったのだ。 それではじめて、イエスは、私たちにとっては情け深く、神にとっては忠実な大祭司として、私たちの犯した過ちを取り除くことができたのだ。


また、自分を通して神のもとに来る人たちを、1人残らず、完全に救うことができる。 永遠に生きているイエスは、いつも神のそばで、自分の血によって彼らの犯した過ちが帳消しになっていることを、神に思い起こしてくれるのだ。


我が息子に娘よ―― 【実の子どもの事ではなく、イエスを信じる人たちのことをそう呼んでいる。さらに当時は先生をリーダーと呼び、生徒をつき従う者とよび、子どもたちを、息子や娘と呼んでいた】 過ちを犯し続ける闇の人生を送ってほしくなくてつづっている手紙ではあるが、仮に足を踏み外しても、イエス・救世主が助けの手をさしのべてくれる。 考え、言動、ひっくるめて正しいイエスだからこそ、私たちが父さんの前に立つとき、この上ない弁護をしてくれる。


本当の愛とは、神に対する私たちの愛ではなく、私たちに対する“神の愛”なのだ!われわれ人類の過ちをぬぐい去るために神は一人子を送りだした。


死んでから復活し、今は永遠に生きる者となり、死と地獄とのかぎを持つ。


私たちに従ってください:

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