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ヘブル人への手紙 8:3 - ALIVEバイブル: 新約聖書

3 供え物といけにえとを神にささげるのが大祭司の務め。 だから、我らの大祭司イエスも、いけにえを捧げる必要があった。

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Colloquial Japanese (1955)

3 おおよそ、大祭司が立てられるのは、供え物やいけにえをささげるためにほかならない。したがって、この大祭司もまた、何かささぐべき物を持っておられねばならない。

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リビングバイブル

3 大祭司の務めは、供え物といけにえとをささげることです。ですからキリストも、その務めをなさいます。

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Japanese: 聖書 口語訳

3 おおよそ、大祭司が立てられるのは、供え物やいけにえをささげるためにほかならない。したがって、この大祭司もまた、何かささぐべき物を持っておられねばならない。

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Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳

3 すべて大祭司は、供え物といけにえとを献げるために、任命されています。それで、この方も、何か献げる物を持っておられなければなりません。

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ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書)

3 全ての祭司は、神に生贄や供え物を捧げるという仕事を与えられている。だからこそ、私たちの大祭司もまた神に何かを捧げなければいけないのだ。

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聖書 口語訳

3 おおよそ、大祭司が立てられるのは、供え物やいけにえをささげるためにほかならない。したがって、この大祭司もまた、何かささぐべき物を持っておられねばならない。

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ヘブル人への手紙 8:3
14 相互参照  

私が、その、天から下って来た、生きためしです。 このめしを食べる人はだれでも、永遠に生きる。 このめしは、私の体。 この身をささげよう、人類が生きるために!!!」


イエスは私たちの罪を着るために死へと引き渡された。 そして、私たちを神に繋げるため、死から蘇ったのだ。


私たちに希望もなにもないとき、神をシカトしていた自己中な私たちのために、救世主はやって来て、そして死んでくれた。


しかし、神の偉大な愛は違った。 私たちがまだ、自己中だったとき、つまり神の敵だったときに、救世主は私たちのために死んでくれたのだ。


もはや、私の中にあった我心が死に、救世主に与えられた心が生き生きしているのだ。 私の心が生きているのはただ、忠実な神の一人子が私を愛し、身を捧げてくれたおかげだ。


愛を生き様にするのだ。救世主が私たちを愛したように人を愛すのだ。 人生を私たちの為に捧げてくれた救世主の愛。 この愛は神を喜ばせた捧げものだった。 その匂いはなんと甘いことか。


過ちに捕らわれ、身動きの取れなかった私たちのためにイエスは死んで救ってくれた。私たちを、イエス“のみ”に属し、神と人のために生きたくてたまらない者にするためだ。


イエスには、あらゆる点で兄弟である私たちと同じになることが、必要不可欠だったのだ。 それではじめて、イエスは、私たちにとっては情け深く、神にとっては忠実な大祭司として、私たちの犯した過ちを取り除くことができたのだ。


という訳で、神の手で、天国の市民として選び出された、兄弟姉妹よ。 イエスが私たちを救い、私たちの信仰の大祭司となったことを考えてみてほしい。


ユダヤの大祭司は、人の代表として、いろいろな供え物をささげ、神に仕える。


普通の祭司は、神の前に出る時、まず自分の犯した過ちをきよめるために、そして人の過ちのために、毎日、動物のいけにえの血をささげる必要があった。 しかしイエスにその必要は全くなかった。 人生をかけてささげた生け贄は一度きり。 なぜなら、十字架にかかって自分をいけにえとしてささげ、ただその一度の行為で、すべてを成し遂げたからだ。


この方のいけにえは、地上の祭司たちが捧げるいけにえより、はるかに勝っている。 しかし、もし我らの大祭司が、今なお地上にいたとしたら、祭司にはならない。この地上の祭司は、ユダヤ人の掟を守る祭司の居場所であり、天の大祭司の居場所ではないからだ。


まして救世主の血は、どれほど確実に、私たちの心と生活を変えることか! 救世主は不滅の神の霊の力によって、完璧ないけにえとなった。 流してくれた血は、私たちが過去に犯した間違いをすっきりきれいに洗い流してくれた。 私たちが澄みきった真心から、生ける神を讃えられるようになるためだ。


私たちに従ってください:

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