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ヨハネによる福音書 10:25 - ALIVEバイブル: 新約聖書

「そのことだったら、もう話しましたが、信じませんでした。 父の権力で何度もキセキを行なったでしょう。このキセキが十分私を物語っています。

この章を参照

Colloquial Japanese (1955)

イエスは彼らに答えられた、「わたしは話したのだが、あなたがたは信じようとしない。わたしの父の名によってしているすべてのわざが、わたしのことをあかししている。

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リビングバイブル

彼らの質問に、イエスはお答えになりました。「そのことならもう話しました。あなたがたは信じませんでしたが。わたしは、父の御名によって何度も奇跡を行ったでしょう。証拠はそれで十分なはずです。

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Japanese: 聖書 口語訳

イエスは彼らに答えられた、「わたしは話したのだが、あなたがたは信じようとしない。わたしの父の名によってしているすべてのわざが、わたしのことをあかししている。

この章を参照

Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳

イエスは答えられた。「わたしは言ったが、あなたたちは信じない。わたしが父の名によって行う業が、わたしについて証しをしている。

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ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書)

イエスは答えた。「わたしはもう既に伝えたが、お前たちは信じなかった。わたしはお父さんの権威によって奇跡を起こしている。これらの奇跡がわたしが誰なのかを物語っている。

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聖書 口語訳

イエスは彼らに答えられた、「わたしは話したのだが、あなたがたは信じようとしない。わたしの父の名によってしているすべてのわざが、わたしのことをあかししている。

この章を参照



ヨハネによる福音書 10:25
17 相互参照  

だが、その前にイエスが口を開いた―― 「あなたがたが目にした、私のすばらしい行いすべては父さんの力。父さんが行ったすばらしい出来事のどれを見て、私を殺そうと思うのですか?」


父さんの意志を私が実行していないなら、 私を信じなくてかまいません。


だが、もし私が父さんの意志を実行しているなら、私がすることなすことを信じるべきです。 私を信じられなくとも、私がなすことを信じるべきだ。 そうすれば、父が私の中にいて、私が父の中にいることが分かるでしょう」


そこで、祭司やパリサイ派は、この“問題”を協議するため、さっそく議会を召集した。これはたいへんな議論になった。 「どうしましょう?あの男がたくさんのキセキを行っております。


イエスがあれほど多くのキセキをしたにもかかわらず、大部分の人は、イエスを救世主とは信じなかった。


「父さんの中に俺がいて、俺の中に父さんがいると、“俺が”言うのだから信じろ!これで物足りないなら、俺が見せたキセキを思えば、信じられるはずだ。


この本に記したキセキのほかにも、イエスが起こしたたっくさんのキセキを仲間たちは見た。


ある晩のこと、このニコデモがイエスを訪ねたのだ―― 「先生、我々はあなたが神より遣われし方であると知っています。 神の助け無しにここまでのキセキを行うことなどできません」


そんなこともありながら、より多くの人がイエスが救世主だと信じ、こう言った―― 「ありえない、本当に救世主が、この方より多くのキセキを行うと思うか?」―― 【イエスが救世主で間違いないと言っていたのだ】


すると、先ほどから集まっていた人たちを再度教えはじめた―― 「私は世の希望の光。私についてくる人が、闇の中で生きることはない。生命を注ぐ光を手にしているからです・・・!!!」


あなたがたは、犯した過ちを赦されずに死ぬ。 そう、『わたしがわたし』であることを信じない限り、有罪のまま死ぬ!!!」―― 【ここで用いられている“わたし”とは、旧約聖書で救世主を暗示している。聖書:出エジプト記3:14、イザヤ書41:4; 43:10より引用】


あなたがたの先祖アブラハムは、私が来る日を今か今かと待ちわび、実現した今は大喜びしているところです」


「アブラハムが生まれるずっと前から『わたしはわたし』なのだ・・・!!!」


ナザレ村出身のイエスについて耳にしたと思うが、神は神の霊と、力を与えることにより、彼が約束されし王であることを示した。イエスは行く先々で人々のために生きた。悪魔に支配された者を解放し、神が共にいることを証明した!


イスラエルのみなさん、もう一度言おうッ!!神がナザレ村のイエスを俺たちのもとへ送ってくれた!イエスはその証拠としてキセキや人知を超えた数々のことをしてくれた。そのことを実際に見聞きしてきた、みなさんだからこそ、俺の言葉にウソ、偽りがないことを知っているはずだ!


だとしたら、王・イエス自身の口から語られ、それを聞いた人たちが伝え、真実を証明してくれた救いの最高な知らせを無視したとき、どうして罰を免れることができるだろうか。