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テモテヘの第二の手紙 4:8 - ALIVEバイブル: 新約聖書

そのため、勝者への褒美が私を待っている。 それは、私が神に認められていることを象徴する冠。 完全であり、完璧な裁判官である王・イエスが、最後の審判の日に与えてくれるのだ。 私だけでなく、イエスの帰りを心底楽しみにしている人全員に!

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Colloquial Japanese (1955)

今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。かの日には、公平な審判者である主が、それを授けて下さるであろう。わたしばかりではなく、主の出現を心から待ち望んでいたすべての人にも授けて下さるであろう。

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リビングバイブル

天では栄冠が待っています。正しい裁判官である主が再び来られる日にいただく冠です。もちろん私だけにではなく、主を熱心に待ち望む人々全員に授けられるのです。

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Japanese: 聖書 口語訳

今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。かの日には、公平な審判者である主が、それを授けて下さるであろう。わたしばかりではなく、主の出現を心から待ち望んでいたすべての人にも授けて下さるであろう。

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Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳

今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。しかし、わたしだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも授けてくださいます。

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ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書)

そして今、私のために用意された勝者への褒美が目の前にある。それは私が神に認められていることを象徴する冠だ。完全であり、完璧な裁判官、そして王であるイエスが最後の判決の日に与えてくれるものだ。そう!私だけではなく、イエスの帰りを心から楽しみにしている人全員にそれが与えられるのだ!

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聖書 口語訳

今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。かの日には、公平な審判者である主が、それを授けて下さるであろう。わたしばかりではなく、主の出現を心から待ち望んでいたすべての人にも授けて下さるであろう。

この章を参照



テモテヘの第二の手紙 4:8
39 相互参照  

「その日がいつになるか、父さんのみぞ知る。 “この人”や天使でさえも知るよしはない。


終わりの日、たくさんの人が俺を、我が王と呼ぶ。 『あなたの名によって、神のことばを語り、悪魔を追っ払い、キセキを起こした』と。


言っておくが、最後の審判の日、彼らは火の雨で滅ぼされた過ちの都市ソドムの住民よりひどい目にあう・・・!!!」


神がそこまでしてくれているのに、あなたがたの頑固さときたら! 変わる気などみじんもない。 こうして哀れなことに、自ら恐ろしい刑罰を積み上げている。 ああ、裁かれるさ。神が裁判官として立ち、怒りの鉄槌を下す日にな。 その日、誰もが人の立場に左右されない神の公平な裁きを目にするのだ。


イエスの信者だって神の霊を、神からの最初の約束として先取りしているが、うめき声をあげている。 また、神の子どもとしての完全な権利が与えられるその日を、ひたすら待ちこがれている。 その日には、神が約束してくれた新しい体、すなわち、もはや病気にかかることも死ぬこともない体を与えられるのだ!


まさに、聖書のことばどおり。 「神は自分を愛するものへ 誰も見たことも、 聞いたことも、 想像したこともないことを用意してくれた」―― 【聖書:イザヤ書64:4より引用】


最後の審判の日に人間の働きは良くも悪くも明らかになる。 その時には、各自がどんな材料で教会を建てたか、火で燃やすことで明白になる。


競技の選手は、この世のメダルや優勝杯を得ようと、厳しいトレーニングに励む。 しかし私たちは、神から与えられる、決して朽ちない栄光を受けるために、そうするのだ。


今のこの体には、もう飽き飽きしている。だからこそ、天国の体をまるで新しい着物のようにまとえる日を、首を長くして待っているのだ。


そして、私はいつか生き返る!


それもこれも、あなたがたが初めて最高な知らせの真理を聞いた時から楽しみにしている天の宝への希望から生まれたものです。


また、神の一人子の到来を待ち望む熱心さについてもだ。 神が死から蘇らせた一人子、その名はイエス。神の恐るべき鉄槌から救い出してくれる、唯一の救世主!


しかし、闇の中を生きないあなたがたは、強盗に襲われた人のようにあわてふためくことはない。


その時になればこの大反逆者が出現する。しかし、イエス王が一息で殺す。誰もが見えるかたちで王・イエスがあらわれ、悪は終焉を迎える。


そうすれば自分のために、永遠の宝を天に蓄えることになる。 これこそ、未来に備える、ただ1つの絶対であり、安全な投資。 彼らはこれからやって来る時代で永遠の人生を手にすることができるのだ。


そして我らの救世主、イエスが地上に来てくれたことで全貌が明かされた。 死を打ち負かし、最高な知らせをとおして朽ちることのない命への道へ導いてくれた。


そして、その任務が与えられたが故に、私はいま獄中で苦しんでいるのだ。 しかし、それを少しも恥とは思わない。 なぜなら、自分がだれを頼りにしているのかをよく知り、またその方は、任せたものをすべて、再び戻るその日まで安全に守ってくれると確信しているからだ。


再びイエス・救世主の現れる日にもらえる恵みを、彼も受け取るように祈っている。 港の都エペソで、彼がどれだけ私の力になってくれたかはおまえがよく知っているだろう。


アスリートが勝つためには、すべてのルールを守らなければならない。


いつの日か神の王国を完全に治めるために現われ、生者と死者とを裁かれる方である、イエス・救世主、そして神の前で私は命じよう――


イエス・救世主が戻ってくるという最高な祝福を待ち望むのだ!


しつけを受けて、気持ちがいいはずはなく、むしろ、傷つけられたと感じるもの。しかし、あとになれば、しつけされてよかったと思えるようになる。それが自分の益となり、信仰の面でも、人格の面でも、プラスとなっていることが、わかるのだ。


救世主も、多くの人の犯した過ちのために自身を捧げ、一度だけ死んでくれた。 そして、次は、人間の過ちを取り除くためではなく、彼を待ち望む人を救うためにくるのだ!


誘惑に負けずに信じ続ける者は、幸せ者だ。 神を愛す人に約束された、永遠の命の冠が贈られるからだ。


後は神が子に約束した天の宝を待つのみ。その宝は色あせず、腐らず、壊れず、輝きを失うことはない。


そうすれば、偉大な羊飼い、救世主がやってくる時、褒美として永遠に朽ちない栄光の冠をいただけるのだ。


見ろ。イエスが、雲に乗ってやって来る。すべての人の目が、彼を突き刺して殺した者たちの目も含め、彼に注がれる。その時、人はみな、恐れと悲しみのあまり、泣きわめく。これは間違いなく起きる!


それから天が開かれ、私は、そこに白馬を見た。 その馬に乗っている者は――義理堅く真実――と呼ばれた。正しいさばきと戦をするからだ。


これから先、味わう苦しみを、少しも恐れてはならない。あなたがたのうちから悪魔に牢獄に投げ込まれる人たちがいる。そこで、どれだけ神を信頼しているかが試されるだろう。そして、あなたがたは10日間、苦しむことになる。しかし、たとい死に直面するようなことになっても、最後まで、私に忠実であれ。そうすれば、永遠のいのちの冠、すなわち、終わりなき栄光の未来を与えよう。


これらを知らせてくれた方が、はっきり宣言する―― ――「そう。私はすぐに戻って来る」―― まさに!来たれ、王・イエス!


24人の長老はこの方の前にひれ伏すと冠を王座の前に置き、永遠の永遠である方を次のように褒め称えた。


王座の回りには24の座があり、24人の長老が座っていた。 全員が白い衣をまとい、金の冠をかぶっていた。