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ヨハネの第一の手紙 3:21 - ALIVEバイブル: 新約聖書

愛する友よ、 良心に恥じない生き方をしているなら、胸を張って神のもとへ行ける。

この章を参照

Colloquial Japanese (1955)

愛する者たちよ。もし心に責められるようなことがなければ、わたしたちは神に対して確信を持つことができる。

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リビングバイブル

しかし、愛する人たち。もし私たちの良心が潔白であれば、完全な確信と信頼を持って主の前に出ることができます。

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Japanese: 聖書 口語訳

愛する者たちよ。もし心に責められるようなことがなければ、わたしたちは神に対して確信を持つことができる。

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Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳

愛する者たち、わたしたちは心に責められることがなければ、神の御前で確信を持つことができ、

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ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書)

愛する友よ!良心に恥じない生き方をしているなら、神が再び戻ってくる時、胸を張って神のもとへ行ける。

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聖書 口語訳

愛する者たちよ。もし心に責められるようなことがなければ、わたしたちは神に対して確信を持つことができる。

この章を参照



ヨハネの第一の手紙 3:21
17 相互参照  

あなたには、自分のしていることは、たとえ神の目から見ても潔白だ、とわかっているかもしれない。 このような場合、正しいと思うことをして、しかも、罪悪感を感じずにすむのが一番だ。


良心にやましいところは、一切ないものの、だからといって、わたしが正しいことを証明しない。正しいかどうか、判決を下すのは、イエス様自身だからだ。


私たちは、神のおかげで、今までしてきたことを誠実さと正直さをもってつらぬき通して働くことができた。特にあなたがたのところでしたことはそうだ。 それは自分の知恵ではなく、神に恵まれてできたことだ。 胸を張ってこう言えるから、とてもうれしく思う。


救世主に属すがゆえに、恐れず、自由に神の前に出ることができる。それは自分ではなく、救世主の従順さを信じているからこそだ。


すべての男たちが祈るように。神を喜ばせるために生き、怒りやいがみあうことなく手をあげて祈る男でなければならない。


救世主を信じきることで、心に注がれた救世主の血が私たちを罪悪感から解き放ち、体に注がれたきよい水で洗われたのだから、自信をもって堂々と神の前に進み出ようではないか。


だから、迷わず、思いきって、神の王座に近づいて情けを求め、必要な時に必ず与えられる恵みを、いただこうではないか!


そう、我が子たちよ。いつまでも彼の内に生きようじゃあないか!そうすれば、救世主が再び戻る日、堂々としていられる。


愛する友よ、 私は新しい戒めを教えようというわけではない。あなたがたが昔から聞き馴染んでいることだ。


愛する友よ、私たちはすでに神の子だ。我々は将来どのようになるかは知らないが、救世主が戻る時、私たちが救世主のようになることだけは知っている!ありのままのイエスを目の当たりにするのだ!


もし悪いことをしたと、罪悪感を感じたとしても、安心するんだ。何でも知っている神の“心”は計り知れないほど広い。


神の愛を完全に受けとっているなら、最後の審判の日を恐れるどころか、心待ちにできる。なぜなら、我々は救世主と愛で結ばれており、この世において我々はまるでイエスのようだからだ。


私たちは堂々と神に願い求め、神の求めることであれば、必ずとりあってくれる自信がある。