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ヨハネの第一の手紙 3:2 - ALIVEバイブル: 新約聖書

2 愛する友よ、私たちはすでに神の子だ。我々は将来どのようになるかは知らないが、救世主が戻る時、私たちが救世主のようになることだけは知っている!ありのままのイエスを目の当たりにするのだ!

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Colloquial Japanese (1955)

2 愛する者たちよ。わたしたちは今や神の子である。しかし、わたしたちがどうなるのか、まだ明らかではない。彼が現れる時、わたしたちは、自分たちが彼に似るものとなることを知っている。そのまことの御姿を見るからである。

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リビングバイブル

2 愛する人たち。私たちは、もうすでに神の子どもなのです。これから先のことは想像もつきませんが、ただこの一事だけはわかっています。つまり、キリストが再び来られる時、私たちはキリストに似た者となるということです。その時、キリストのありのままの姿を見るからです。

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Japanese: 聖書 口語訳

2 愛する者たちよ。わたしたちは今や神の子である。しかし、わたしたちがどうなるのか、まだ明らかではない。彼が現れる時、わたしたちは、自分たちが彼に似るものとなることを知っている。そのまことの御姿を見るからである。

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Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳

2 愛する者たち、わたしたちは、今既に神の子ですが、自分がどのようになるかは、まだ示されていません。しかし、御子が現れるとき、御子に似た者となるということを知っています。なぜなら、そのとき御子をありのままに見るからです。

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ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書)

2 愛する友よ!私たちはすでに神の子だ!私たちは将来、どのような姿になるのかは知らないが、救い主が戻ってきた時、私たちが救い主のような姿になるのは知っている!イエスの本来の姿を目の当たりにするんだ!

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聖書 口語訳

2 愛する者たちよ。わたしたちは今や神の子である。しかし、わたしたちがどうなるのか、まだ明らかではない。彼が現れる時、わたしたちは、自分たちが彼に似るものとなることを知っている。そのまことの御姿を見るからである。

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ヨハネの第一の手紙 3:2
37 相互参照  

純粋な考え、きれいな考えを持つものは喜べ! 神はあなたと共にいる。


“この人”の再来も同じく、すべては“いつものとおり”だ。


まるで天使のように、二度と死ぬことはない・・・!!!死から蘇った者は、神の子どもなのだ。


しかし、中には“彼”を受け入れ、信じる人もいた。 そんな人に“彼”は、神の子どもとなる権利を与えた。


これは、イエスが、ユダヤ地方ばかりか、世界中に散らされているすべての神の子たちのためにも死んでくれるというお告げだったのだ。


父さんよ、俺のお願いを聞いてくれ。俺の仲間を一緒に天へ引き上げてくれ。彼らは俺に属している。俺の栄光を見させてあげてくれ。あなたが世界を造る前から俺を愛していたがゆえに与えてくれた栄光を。


というのは、神の霊が、私たちの心の奥底に、私たちはほんとうに神の子どもだよ、と語りかけてくれるからだ。


けれども、私たちがいま味わっている苦しみなどは、後にもらえる栄光に比べたら、取るに足りないものだ。


神が造ったものはみな、やがて神の子どもたちがあらわされる日を、期待し、希望をもって待ち望んでいるのだ。


というのは、神はあらかじめ、だれが自分のもとに来るかを知っていて、そのような人たちが自分の息子と同じくしようと、最初から定めていたからだ。 それは、一人子を大ぜいのイエスに属する兄弟姉妹たちの中の長男とするためだった。


同じように、今の私たちの神に対する知識や理解は、そまつな鏡にぼんやり映る姿のようなものだが、やがては、面と向かって、神の完全な姿を見るのだ。 今は、神の一部分しか知らないが、その時になれば、私のことを完全に把握している神のように、すべてがはっきりする。


人間は誰でも最初の人間のように与えられたのだから、天国の人間のように体を与えられてもおかしくない。


まさに、聖書のことばどおり。 「神は自分を愛するものへ 誰も見たことも、 聞いたことも、 想像したこともないことを用意してくれた」―― 【聖書:イザヤ書64:4より引用】


だから、私たちイエスの信者には、顔の覆いがない。 イエスが神の性質を示し、彼を想うことによって、私たちが変わっていく。 そして、神の霊がうちで働いてくれるにつれて、私たちはますますイエス様に似た者となるのだ。


今の私たちの試練は、永遠の栄光と比べれば、束の間であり、取るに足りないものだ。 また、この試練が永遠の財産を増し加えてくれている。


それは私たちがみな、信じることによってイエス・救世主に属し、神の子どもとなったからだ。


このように、父である神は、子である私たちの心に、神の霊を送ってくれた。そのおかげで、今では恐れ多くも神を“父さん”と呼ぶことができるのだ!


その日、私たちの土の体はイエスと同じように栄光輝く体を手に入れる。 すべての力という力を治めるイエスの権力でこれが実現される!


自分ではなく、イエス中心の人生を歩むとき、あらわとなるイエスのすさまじい栄光を分かち合うことになる!


救世主も、多くの人の犯した過ちのために自身を捧げ、一度だけ死んでくれた。 そして、次は、人間の過ちを取り除くためではなく、彼を待ち望む人を救うためにくるのだ!


また、そのおかげで究極かつ最高峰の祝福が贈られた。この約束されし祝福は、人の魂をダメにする欲望から解放し、神がかった人間にさえもしてくれる!


そう、我が子たちよ。いつまでも彼の内に生きようじゃあないか!そうすれば、救世主が再び戻る日、堂々としていられる。


愛する友よ、 私は新しい戒めを教えようというわけではない。あなたがたが昔から聞き馴染んでいることだ。


目に入れても痛くないほどに、父さんは我々人間を愛してくれた。 神の子として呼ばれただけでなく、実際に子どもとして扱ってくれる。 しかし、世の中の人は、我々が神の子だとは思いもしていない。 理由は単純、彼の存在を知らないからだ。


だからこそ、神の子か、悪魔の子か、その人を見れば一目瞭然という訳だ。 やるべきことをやらず、教会の兄弟姉妹を愛さないのであれば、神の子ではない。


愛する友よ、 良心に恥じない生き方をしているなら、胸を張って神のもとへ行ける。


イエスを救世主だと信じるのなら、神の子だ! 父さんを愛す人は、父さんの子たちも愛す。


私に認められた者たちは力を受け取る。私が父から受け取った力と同じ力を。そして、私は彼らに明けの明星を与える―― 【明けの明星は勝利のシンボル】


彼らは、神と顔を合わせることができる。その額には、神の名が書き込まれているから。


私たちに従ってください:

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