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ヨハネの第一の手紙 2:28 - ALIVEバイブル: 新約聖書

28 そう、我が子たちよ。いつまでも彼の内に生きようじゃあないか!そうすれば、救世主が再び戻る日、堂々としていられる。

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Colloquial Japanese (1955)

28 そこで、子たちよ。キリストのうちにとどまっていなさい。それは、彼が現れる時に、確信を持ち、その来臨に際して、みまえに恥じいることがないためである。

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リビングバイブル

28 そこで、私の子どもたちよ。いつも、主との親しい関係を保ちなさい。そうすれば、キリストが帰って来られる時、主にお会いするのをためらったり、恥じたりしないですむでしょう。

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Japanese: 聖書 口語訳

28 そこで、子たちよ。キリストのうちにとどまっていなさい。それは、彼が現れる時に、確信を持ち、その来臨に際して、みまえに恥じいることがないためである。

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Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳

28 さて、子たちよ、御子の内にいつもとどまりなさい。そうすれば、御子の現れるとき、確信を持つことができ、御子が来られるとき、御前で恥じ入るようなことがありません。

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ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書)

28 そう!私の子たちよ。いつまでも彼の内に生きようじゃないか!そうすれば、キリストが再び戻る日に、恐れを抱かず堂々としていられる。隠れる必要もなければ、恥を抱く必要もなくなるはずだ。

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聖書 口語訳

28 そこで、子たちよ。キリストのうちにとどまっていなさい。それは、彼が現れる時に、確信を持ち、その来臨に際して、みまえに恥じいることがないためである。

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ヨハネの第一の手紙 2:28
29 相互参照  

俺、すなわち“この人”は父さんの栄光をおび、天使の軍勢を従えて戻る。 そのとき、俺は、人が行ってきたことに応じて褒美を授ける。


今から言うことを信じろ・・・この中には“この人”がすべてを統べる王として戻って来るのを目にする者がいる!」―― 【聖書:ダニエル書7:13より引用】


おまえたちは、神に不忠実で過ちだらけな世の中にいる。だがいいか、そんな中でもこの俺と俺の教えを恥らわないように。もし恥らうなら、“この人”、すなわち俺が父さんの栄光をおび、天使の軍勢を従えて戻る時、俺はその人を“恥じる”・・・!!!」


“この人”の再来も同じく、すべては“いつものとおり”だ。


聖書で、この石について記されている。 「わたしはユダヤ人の通り道に、1つの岩を置く。 多くの者が、その石につまずくだろう。 しかし、この方を信じきる者が後悔することはない」―― 【聖書:イザヤ書8:14、28:16より引用】


あなたがたに欠けている能力はあるだろうか? とんでもない、我らの王たるイエス・救世主が戻るまでに必要な能力はあなたに十二分に与えられている。


ただし、順番がある。 最初に救世主が復活した。 次に、救世主が帰って来る時に、彼に属する全員が復活する。


救世主に属すがゆえに、恐れず、自由に神の前に出ることができる。それは自分ではなく、救世主の従順さを信じているからこそだ。


自分ではなく、イエス中心の人生を歩むとき、あらわとなるイエスのすさまじい栄光を分かち合うことになる!


誰よりも私たちに希望と喜びを与えてくれるのはあなた方だ。 王なるイエス・救世主が戻る時、私たちが勝利を祝う理由はあなたがたにあるのだから。


これによって正しくありたいという思いが増す。 そして、王・イエスが天使軍を従えて戻るとき、父なる神を前にして潔白となり、神の存在を存分に楽しめるのだ!


平和の神ご自身が、あなたがたをシミひとつない存在とするように祈っている。 つまり、神以外の誰にも何にも、心、魂、体を一寸たりとも奪われていない、完全に神へ属す者であるように。 王なるイエス・救世主が戻る時、潔白であるように。


我らが王なるイエス・救世主が戻る時まで、命じられたことを落ち度なく、手を抜かずに全うするのだ!


そのため、勝者への褒美が私を待っている。 それは、私が神に認められていることを象徴する冠。 完全であり、完璧な裁判官である王・イエスが、最後の審判の日に与えてくれるのだ。 私だけでなく、イエスの帰りを心底楽しみにしている人全員に!


イエス・救世主が戻ってくるという最高な祝福を待ち望むのだ!


救世主も、多くの人の犯した過ちのために自身を捧げ、一度だけ死んでくれた。 そして、次は、人間の過ちを取り除くためではなく、彼を待ち望む人を救うためにくるのだ!


この困難は私たちが本当に神を信頼しているかを試す。まるで純金が本物か試す火のように。 しかし、信仰は純金に勝る!純金は滅びるが、信仰は永遠だ! そして、その信仰が本物だと証明されたなら、イエス・救世主が再び地上に来るとき、神にその心を讃えられ、名誉を受けることになるのだ!


そうすれば、偉大な羊飼い、救世主がやってくる時、褒美として永遠に朽ちない栄光の冠をいただけるのだ。


我が息子に娘よ―― 【実の子どもの事ではなく、イエスを信じる人たちのことをそう呼んでいる。さらに当時は先生をリーダーと呼び、生徒をつき従う者とよび、子どもたちを、息子や娘と呼んでいた】 過ちを犯し続ける闇の人生を送ってほしくなくてつづっている手紙ではあるが、仮に足を踏み外しても、イエス・救世主が助けの手をさしのべてくれる。 考え、言動、ひっくるめて正しいイエスだからこそ、私たちが父さんの前に立つとき、この上ない弁護をしてくれる。


愛する友よ、私たちはすでに神の子だ。我々は将来どのようになるかは知らないが、救世主が戻る時、私たちが救世主のようになることだけは知っている!ありのままのイエスを目の当たりにするのだ!


愛する友よ、 良心に恥じない生き方をしているなら、胸を張って神のもとへ行ける。


神の愛を完全に受けとっているなら、最後の審判の日を恐れるどころか、心待ちにできる。なぜなら、我々は救世主と愛で結ばれており、この世において我々はまるでイエスのようだからだ。


私たちは堂々と神に願い求め、神の求めることであれば、必ずとりあってくれる自信がある。


見ろ。イエスが、雲に乗ってやって来る。すべての人の目が、彼を突き刺して殺した者たちの目も含め、彼に注がれる。その時、人はみな、恐れと悲しみのあまり、泣きわめく。これは間違いなく起きる!


私たちに従ってください:

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