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コリント人への第二の手紙 12:10 - ALIVEバイブル: 新約聖書

すべては救世主のためであることを知っているので、その“とげ”も、侮辱も、苦しみも、迫害も、困難も、大いに喜んでいる。 なぜなら、弱い時にこそ、私は強いからだ。無力であればあるほど、それだけしっかりと、救世主によりすがるようになるからだ。

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Colloquial Japanese (1955)

だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。

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リビングバイブル

すべてはキリストのためであることを知っているので、その「とげ」も、侮辱も、苦しみも、迫害も、困難も、大いに喜んでいます。なぜなら、弱い時にこそ、私は強いからです。――無力であればあるほど、それだけ、キリストによりすがるようになるからです。

この章を参照

Japanese: 聖書 口語訳

だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。

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Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳

それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。

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ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書)

弱さも、侮辱も、困難も、迫害も、問題も、悲劇も、全てが救い主のためなら、私は喜んでそれらを受け入れよう・・・なぜなら、私が弱い時にこそ、私は真の強さを持つからだ。

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聖書 口語訳

だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。

この章を参照



コリント人への第二の手紙 12:10
29 相互参照  

この人の仲間だって理由で憎まれる。今までの仲間からはのけ者にされ、さらには中傷される。汚名を着せされ、名を口にすることさえ、よせと言う。 これらが起こる時、最高な祝福を手にしたことを知れ!


世間の人は、俺の仲間だというだけで、あなたがたを迫害する。 俺を遣わした神を、全く知らないからだ。


「いてて・・・ひでぇツラだな兄弟!」 「いやいや、おまえこそ!つ゛ッ・・・」 「ははは・・・!」 イエスの為に取った行動で罰せられたことを使徒たちは最高の名誉として心に刻み、傷だらけの体に満面の笑顔を浮かべて議会を後にしたのだった。


私たちはさらに、様々な問題や困難に直面した時でさえ喜ぶことができる。 それは忍耐を学ぶのに役立つからだ。


私たちは救世主にあって愚かな者よ。 しかしあなたたちは、自分が救世主にあって賢い者だ。 私たちは弱くて、あなたがたは強いのだ。人受けのよいみなさんと違って、私たちは笑いものにされている。


試練にぶつかるたびに神は私たちに愛情と力を注いでくれる。 それは、他の人が試練にぶつかったとき、私たちが神と同じ愛情を注ぎ、強めるためだ。


自分を誇り、その業績を自慢する人は、つまらない人間だ。 しかし、イエス様の推薦を受ける人は、真に価値ある人間だ。


そのつど返ってくる答えは、こうだった。 「わたしがあなたと共にいる。それで十分ではないか。わたしの力は弱い人にこそ、最もよく現われるのだから」 だから自分の弱さを喜んで誇っている!力や才能を見せびらかすのではなく、喜んで救世主の力の生き証人になりたいからだ。


救世主の人間としての弱い体は、十字架上で死んだ。 しかし今や、救世主は、神の偉大な力を受けて生きている。 私たちも救世主のように弱い肉体を持っているが、 救世主と同じように神の力によって天国の肉体を手に入れるのだ。 そして、みんなに対処するに十分な神の力を、もらっているのだ。


自分は弱くて軽べつされても、みんながほんとうに強くなってくれれば、うれしいのだ。 最大の願いと祈りは、みんなが一人前のイエスの信者になってくれることだ。


今の私たちの試練は、永遠の栄光と比べれば、束の間であり、取るに足りないものだ。 また、この試練が永遠の財産を増し加えてくれている。


私たちは、自分のことを宣伝しない。 私たちが人に伝えるのは、イエス・救世主がすべてを統べる王であり、 私たちがイエスのために、あなたに人生をささげて仕えているということだけだ。


イエスは死ぬことで、「人間が自分のために生きる」のを辞められる力を与えた。 そして、復活することで「イエスのために生きられる」力を与えた。


私たちは救世主の大使である。 神が、私たちの口から語りかける。 あたかも、救世主がここで懇願しているかのように頼む。 どうか、せっかく差し出された愛を拒まず、神と和解してくれ。


事実、あらゆる点で、自分が本当に神に仕える者であることを示そうと努めている。 次から次へと襲ってくる悩み、苦しみ、困難にも、根気強く耐えている。


みんなには何でも話せるほど信頼しているし、たいへん誇りに思っている。 みんなのおかげで大いに勇気づけられたんだ。さまざまな災難の中でも、いつも幸せだった。


最後に、覚えておいてほしいことがある。あなたがたは、自分のうちにあるイエス様の力によって強められるべきだということだ。


神の祝福によってあなたがたは救世主に仕えることができる。 ただ救世主を信じるだけでなく、救世主を代表することで苦しむ特権も与えられた。


この先、教会には、まだまだ苦難が待ち受けている。だが、教会の一部である私は、教会、つまりみなさんのために苦難を背負えて嬉しく思う。


そこで私たちは、あなたがたが激しい迫害と問題の真っただ中にあるにもかかわらず、根気強くイエスを信じる姿を神の諸教会にどれだけ誇らしいか伝えている!


私があった迫害と葛藤を。 最高な知らせを伝えたが故に三大都市アンテオケ、都イコニオム、丘の町ルステラで私が通った迫害についても知っているだろう。だが、すべてのいざこざから王・イエスが私を救ってくれた。


兄弟姉妹のみなさん そちらは問題だらけですか? それなら喜べ!この先も困難が待ち受けているだろう!


あなたは私のために、どんな時にも、ねばり強く、決してくじけなかった。