ローマ人への手紙 8:5 - ALIVEバイブル: 新約聖書 過ちの性質の言いなりになっている人は、自分の望むものだけを考え生きている。 でも、神の霊に従って歩む人は、神の霊の望むものを考え生きている。 Colloquial Japanese (1955) なぜなら、肉に従う者は肉のことを思い、霊に従う者は霊のことを思うからである。 リビングバイブル 罪の性質に従っている人は自分を喜ばせようとしますが、聖霊に従って歩む人は、神に喜んでいただこうとします。 Japanese: 聖書 口語訳 なぜなら、肉に従う者は肉のことを思い、霊に従う者は霊のことを思うからである。 Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳 肉に従って歩む者は、肉に属することを考え、霊に従って歩む者は、霊に属することを考えます。 ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書) 人間の弱さの言いなりになる人は、自分が望むものだけを考える。だが聖霊に導いてもらう者は、聖霊が望むものを考えるのだ。 聖書 口語訳 なぜなら、肉に従う者は肉のことを思い、霊に従う者は霊のことを思うからである。 |
しかし、あなたがたはそうじゃない。もし神の霊が、みなさんのうちに住んでいるなら、神の霊に支配されている事になる。 もしその人のうちに神の霊が住んでいないなら、その人はイエスの信者、つまり救世主に属している者ではない。
しかし、神の霊を受け取っていない人は、神の霊が教えてくれる神の思いを理解することも、受け入れることもできない。 彼らには、バカらしく思えるのだ。というのは、自分のうちに神の霊をもらっている人だけが、神の霊の想いを理解できるからだ。ほかの人にはそれが理解できない。
私たちの生まれながらの性質は、神の霊が命じることとは正反対なことを好むんだ。 一方、神の霊の導きのままに歩んでいる時に行ないたくなる善は、生まれながらの願望とは正反対のものなのだ。 内面のこの2つの力は、どちらも私たちを思いどおりに動かそうと、いつも格闘している。 そして私たちは、この2つの力の板ばさみになって、したいと思うことが自由にできない状態なのだ。
この罰は、生まれながらの性である我欲に任せて生きる人間や、神から権力をもらった指導者を嫌う人たちにある。 えせクリスチャンは、いい顔をするが、考えは自己中で自分を偉いと思っている。さらには馬鹿げたことや、悪い事もしてくるが、神の霊の力はそれよりはるかに強いのだ。