「ならあやつは何をした?どうやってあなたの目を治したのですか?」
そこで彼らは言った、「その人はおまえに何をしたのか。どんなにしておまえの目をあけたのか」。
「だが、あいつは何をした? どうやっておまえの目を開けた?」
すると、彼らは言った。「あの者はお前にどんなことをしたのか。お前の目をどうやって開けたのか。」
彼らは聞いた。「なら、あいつは何をした?どうやってお前の目を治したっていうのか?」
その場にいた何人かのパリサイ一派は、イエスをじっと見ている。 (見逃しませんよ・・・) この日は働くことが掟で禁じられている休日にも関わらず、イエスが男の手を治すのではないかと目を光らせていた。 イエスを異端児として見ていた彼らは、訴える口実を探っていたのだ―― 【休日と呼ばれた休日に働けば、神の民同胞から追放するというのが掟にはあった。人の解釈によって、いつしか命に別状ない病気やケガの手当が仕事だとする常識へ発展していた。また、この法を破れば、“刑務所行き”または、“39回のムチ打ちの刑”が科される可能性があった】
人々はあっけにとられた・・・ 「いったい全体どうしたんだい!!どうやって見えるようになったんだよ」 誰もがこう矢つぎばやに尋ねた。
「どれどれ、どうやって見えるようになったのですか?」 「“あの方”がおいらの目に泥を塗り、洗うと見えるようになりやした」
「さあ、あの方が悪人かどうかはわかりませんがね。 これだけは、知ってやす。 見えなかったおいらが『今は見える』!!!」
「さっき答えたじゃないですか!お聞きにならなかったのですか。もう一度聞きたいとは、どういうことでしょう。あの方の弟子にでもなるおつもりで?」