エペソ人への手紙 4:14 - リビングバイブル そこで、もはや、だれかから間違ったことを教えられたり、うそを真実のようにたくみに見せかけられたりしても、そのたびに、子どものようにふらふらと信じるものを変えてはいけません。 ALIVEバイブル: 新約聖書 そこで、もはや、だれかから曲がったことを教えられたり、うそを真実のように、たくみに見せかけられたりしても、そのたびに、波風に揺らぐ船のようにふらふらと、信じるものを変えてはいけない。 Colloquial Japanese (1955) こうして、わたしたちはもはや子供ではないので、だまし惑わす策略により、人々の悪巧みによって起る様々な教の風に吹きまわされたり、もてあそばれたりすることがなく、 Japanese: 聖書 口語訳 こうして、わたしたちはもはや子供ではないので、だまし惑わす策略により、人々の悪巧みによって起る様々な教の風に吹きまわされたり、もてあそばれたりすることがなく、 Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳 こうして、わたしたちは、もはや未熟な者ではなくなり、人々を誤りに導こうとする悪賢い人間の、風のように変わりやすい教えに、もてあそばれたり、引き回されたりすることなく、 ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書) そうなれば私たちはもう赤ん坊のようではないということだ。海の上に浮かぶ船のように、波や風にもてあそばれ、沈んだり、上がったり、傾いたりすることがなくなるのだ。私たちを混乱させようとする新しい教えにだって私たちは影響を受けず、振り回されることがなくなるのだ。そういう連中は緻密に計画をし、いかなる手を使っても私たちを陥れて間違った教えに従わせようとする。 聖書 口語訳 こうして、わたしたちはもはや子供ではないので、だまし惑わす策略により、人々の悪巧みによって起る様々な教の風に吹きまわされたり、もてあそばれたりすることがなく、 |
ヨハネの弟子たちが帰ってしまうと、イエスは群衆に、ヨハネのことを話し始められました。「あなたがたはヨハネに会おうと荒野へ出かけて行った時、彼をどんな人物だと考えていましたか。風にそよぐ葦のような人だとでも思っていたのですか。
しかし、どうか許可なさいませんように。四十名以上の者が、パウロを襲い、殺そうと待ち伏せているからです。彼らは、パウロを殺すまでは飲み食いしないと誓い合っています。今、彼らは外で、あなたの許可が下りるのを待っているのです。」
愛する皆さん。こんな道理がわからないような子どもであってはなりません。悪事をたくらむことにかけては、無邪気な赤ん坊でありなさい。しかし、こうしたことを理解する点では、知恵のある大人になりなさい。
この世の知恵は、神から見れば愚かだからです。聖書のヨブ記に、「神は人の知恵を、その人を捕らえるわなとして用いられる」(5・13)と書いてあるとおりです。つまり、人は自分の「知恵」につまずいて倒れるのです。
それは、私たちのように神から遣わされて、真心から語る者、キリストの力によって神の前で語る者だけです。私たちは、多くの人がするように神のことばをつごうよく曲げて、売り歩くようなことはしません。
信じさせるために、あれこれたくらむようなまねはしません。だましたりしたくないのです。書かれてもいないことを、聖書の教えであるかのように思わせることもしません。そのような恥ずかしい方法は用いません。語る時には、神の前に立って真実を語ります。私たちを知っている人はみな、このことを認めてくれるはずです。
ああ、ガラテヤの皆さん。なんと物わかりが悪いのでしょう。いったいどんな魔術師にだまされて、魔法にかけられたのですか。私は、十字架上で死なれたキリストの姿を、絵のようにありありと目の前に示して、その死の意味をはっきりと教えたではありませんか。
まちがった教えに心を奪われてはなりません。あなたがたの霊的な力は神からのものであって、ある特定の物を食べる規定によって得られるものではありません。そのような規定を厳守しても、何の益にもなりません。
キリストに敵対する者たちは、これまでずっと私たちの教会員のふりをしていましたが、ほんとうの仲間ではなかったのです。そうでなければ、教会にとどまり続けたはずです。彼らが出て行った時、私たちの仲間でなかったことが証明されたのです。
愛する人たち。だれかが、「これこそ神の教えです」と言っても、それをうのみにして信じてはなりません。まず、それが確かに神から出たものかどうかを試しなさい。多くの偽教師があちこちに現れているからです。
こういう者たちが、教会での愛の会食に加われば大きな汚点を残します。彼らは、他人のことなどおかまいなしに大声で笑ったり、ふざけたりしながら、むさぼり食うのです。まるで、からからに乾ききった大地の上を、一滴の雨も降らせずに通り過ぎる雲のようです。大いに期待させるだけで、何の役にも立ちません。また、彼らは収穫の時期になっても、実一つつけない木に似ています。その状態はただの死ではなく、二重の死を意味します。彼らは根こそぎ引き抜かれて、焼かれるしかないのですから。
しかし、悪い獣は捕らえられ、続いて偽預言者も縛り上げられました。この偽預言者は、悪い獣と手を組んで人々を奇跡で驚かせ、獣の刻印を受けた者や、獣を拝む者たちを惑わしていたのです。結局、悪い獣も偽預言者も、硫黄の燃えさかる火の池に、生きたまま投げ込まれました。