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ローマ人への手紙 5:13 - ALIVEバイブル: 新約聖書

罪は掟ができる前から、この世にはびこっていた。 むしろ掟がなかったので、神は罪を記録していなかった。

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Colloquial Japanese (1955)

というのは、律法以前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪として認められないのである。

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リビングバイブル

これらの原因がアダムの罪にあることを、私たちは知っています。アダムからモーセまでの時代にも人々は罪を犯しましたが、神はそのころ、罪を犯したからといって、彼らに死刑を宣告したりはなさいませんでした。神はまだ、彼らに律法を与えておらず、また、彼らにどんなことを望んでおられるか告げてもいなかったからです。

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Japanese: 聖書 口語訳

というのは、律法以前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪として認められないのである。

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Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳

律法が与えられる前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪と認められないわけです。

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ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書)

過ちはモーセの掟ができる前からこの世に存在していた。むしろ掟がなかったので、神は過ちを記録していなかった。

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聖書 口語訳

というのは、律法以前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪として認められないのである。

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ローマ人への手紙 5:13
16 相互参照  

さて、もうわかっただろうか? 掟の命じることを実行し、神に正しい者と認められようとしても無駄なあがき。 私たちが神の掟を知れば知るほど、自分がどれだけ守れておらず、ダメなのかが明らかになるだけだからだ。神の掟はただ、私たちの自己中さを自覚させる。


神の掟を守ることで救われようと努力しても、神の怒りの鉄槌が下されるのがオチ。 なぜなら、神の掟を守ることで受け入れてもらうことは不可能だからだ。 掟を破らないためには、破るような掟を持たないに限る。


過ち、すなわち死をもたらすとげは、ことごとく切り取られる。 そして、過ちをあばく掟も、もはや私たちを裁きはしない。


互いを兄弟、姉妹として愛し合っているなら、魂が死界から生界へ、生き返った証拠だ。愛し合えない人の魂は、残念ながらまだ死んでいる。


過ちを犯せば、神の掟を破る。そうだ、過ちを犯す生活習慣は、神の掟に反しているのだ。