下を向きますが、 ついには希望を見いだすようになります。
口をちりにつけよ、あるいはなお望みがあるであろう。
口をちりにつけよ、 あるいはなお望みがあるであろう。
塵に口をつけよ、望みが見いだせるかもしれない。
その時になって王はようやく本心に立ち返り、へりくだって神に助けを求めました。
私はこうして荒布をまとって座り込み、 いっさいの望みをちりの中に埋めた。
「私は何の値打ちもない者です。 どうして答えることができましょう。 口に手をあてて黙り込むだけです。
おまえの将来には希望がある。 おまえの子どもは生まれ故郷へ帰って来る。
あなたの今までの行いにもかかわらず、わたしは思いやりを示す。わたしがあなたの行った悪のすべてを赦すとき、あなたは恥じ入って口をつぐむだろう。」神である主が、このように語るのです。
だれが知るだろう。 もしかすると、主はあなたがたをそのままにして、 恐ろしいのろいをやめて祝福を下さるかもしれない。 以前と変わらず、 主に穀物とぶどう酒をささげることができるように、 たくさん与えてくださるかもしれない。
もしかすると、神様は私たちを生かそうと決め、怒りを静めて、滅ぼさないでくださるかもしれないからだ。」
謙遜な者たちよ、従おうと努力してきた者たちよ、 神に助けを請え。 謙遜に歩み、正しいことを行え。 そうすれば、その運命の日に 主に守ってもらえるかもしれない。
一方、取税人は遠く離れて立ち、目を伏せ、悲しみのあまり胸をたたきながら、『神様。罪人の私をあわれんでください』と叫びました。
そういうわけで、律法がユダヤ人に重くのしかかっています。なぜなら、彼らは律法を守る責任があるのに守らず、こうした悪にふけっているからです。彼らのうち一人として、申し開きのできる者はいません。事実、全世界が全能の神の前に沈黙して立ち、罪の宣告を受けているのです。