ローマ人への手紙 4:14 - リビングバイブル にもかかわらず、神の祝福は律法を完全に守った人に与えられると主張するなら、「信仰を持つ者に対する神の約束など無効であり、信仰は無意味だ」と言っているのと同じです。 ALIVEバイブル: 新約聖書 自力で神の約束の祝福を受けとれるなら、信頼する意味がなくなる。 つまり、アブラハムにした神の約束が無意味となるのだ。 Colloquial Japanese (1955) もし、律法に立つ人々が相続人であるとすれば、信仰はむなしくなり、約束もまた無効になってしまう。 Japanese: 聖書 口語訳 もし、律法に立つ人々が相続人であるとすれば、信仰はむなしくなり、約束もまた無効になってしまう。 Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳 律法に頼る者が世界を受け継ぐのであれば、信仰はもはや無意味であり、約束は廃止されたことになります。 ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書) こうして神の人々は、アブラハムが受けた同じ約束を自分のものにすることが出来るのだ。自分の力で神の約束を受けとれるなら、信仰の意味がなくなる。つまり、アブラハムにした神の約束が無意味なものだということになるのだ。 聖書 口語訳 もし、律法に立つ人々が相続人であるとすれば、信仰はむなしくなり、約束もまた無効になってしまう。 |
そういうわけで、神の祝福は、無償の贈り物として、信仰によって与えられるのです。ユダヤ人の慣習に従うか否かに関係なく、アブラハムと同じ信仰を持っているなら、神の祝福を確実にいただけるのです。信仰の面から言えば、アブラハムは、私たちすべての者の父です。
もはや、良い人間になろうとか、律法に従って救われようとか考えるのはやめて、ただキリストを信じることによって救われ、キリストと結ばれるためです。神が私たちを正しい者と認めてくださるのは、信仰――ただキリストだけを信じ頼ること――を持っているかどうかで決まるからです。
だれも、祭司によっては神との正しい関係を結べなかったのです。しかし、今は違います。私たちは、もっとすぐれた希望を与えられています。キリストによって神に受け入れられた私たちは、神に近づくことができるのです。
古い祭司制度のもとでは、彼らは大祭司であっても、自らを悪から守ることのできない罪ある弱い人間でした。しかし後に、神は誓いをもって、ご自分の御子という完全なお方を、永遠の大祭司に任命されたのです。