コリント人への第二の手紙 4:10 - リビングバイブル この体は、かつてのイエス様がそうであったように、いつも死に直面しています。ですから、私たちを安全に守ってくださる方は、私たちのうちに生きておられるイエスだけであることが明らかになるのです。 ALIVEバイブル: 新約聖書 この体は、かつてのイエスがそうであったように、いつも死の一線にいる。 だから、私たちを安全に守ってくれる方は、うちに生きておられるイエスだけであることが、だれの目にも明らかになるのだ。 Colloquial Japanese (1955) いつもイエスの死をこの身に負うている。それはまた、イエスのいのちが、この身に現れるためである。 Japanese: 聖書 口語訳 いつもイエスの死をこの身に負うている。それはまた、イエスのいのちが、この身に現れるためである。 Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳 わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています、イエスの命がこの体に現れるために。 ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書) こうやってイエスの死をこの体で背負っているのは、イエスのいのちがこの体を通して明らかにされるためなんだ。 聖書 口語訳 いつもイエスの死をこの身に負うている。それはまた、イエスのいのちが、この身に現れるためである。 |
死を覚悟し、自分の無力さを痛いほど思い知らされました。しかし、それがよかったのです。というのは、そんな状態の中で、何もかも神にお任せしたからです。死者を復活させることさえできるお方なのですから。
キリストの、人間としての弱い体は十字架上で死にました。しかし今、キリストは、神の偉大な力を受けて生きておられます。私たちもキリスト同様、肉体的には弱い者でしたが、今は、キリストに似て、強くされた者となっています。そして、あなたがたに対処するに十分な神の力をいただいているのです。
まことに私たちは、主に仕えているために、絶えず死の危険にさらされています。しかし、そのことでかえって、死ぬべき私たちの体によって、イエス・キリストのいのちを明らかに示す機会が与えられているのです。
もう二度と、こんな問題で論じ合わなくていいようにしたいものです。私の体には、イエスに敵対する者からむち打たれ、傷つけられた跡が残っていますが、それこそ、キリストの奴隷であることのしるしなのですから。
それを見た時、私はその足もとに倒れて、死んだようになりました。しかしその方は、私に右手を置いて、こう言われたのです。 「恐れてはいけない。わたしは初めであり、終わりです。死んでのち復活し、今は永遠に生きる者となり、死と地獄とのかぎを持っています。