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ローマ人への手紙 8:36 - リビングバイブル

36 聖書にこう書いてあるとおりです。 「神のためには、いつでも 死ねる心がまえでいなければならない。 私たちは殺されるのを待つ羊のようだ。」(詩篇44・22)

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ALIVEバイブル: 新約聖書

36 聖書にあるとおりだ。 「🎼神のため、死と隣り合わせ 私たちは1日中、殺されるのを待つ羊となんら変わらないと思われている」―― 【聖書:詩篇44:22より引用】

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Colloquial Japanese (1955)

36 「わたしたちはあなたのために終日、死に定められており、ほふられる羊のように見られている」と書いてあるとおりである。

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Japanese: 聖書 口語訳

36 「わたしたちはあなたのために終日、 死に定められており、 ほふられる羊のように見られている」 と書いてあるとおりである。

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Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳

36 「わたしたちは、あなたのために 一日中死にさらされ、 屠られる羊のように見られている」 と書いてあるとおりです。

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ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書)

36 聖書にはこうある・・・ 「♪神のため、死と隣り合わせの私たちは、 1日中、殺されるのを待つ羊となんら変わらないと思われている」——【詩篇44:22より引用】

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聖書 口語訳

36 「わたしたちはあなたのために終日、/死に定められており、/ほふられる羊のように見られている」/と書いてあるとおりである。

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ローマ人への手紙 8:36
18 相互参照  

まるでほふられる羊のように、あなたは私たちを扱い、 国中に散らされました。


ところが私たちは、あなたにお従いしているばかりに、 常に死の恐怖にとらわれています。 まるでほふり場に引かれて行く羊のようになっています。


彼は痛めつけられ、苦しみ悩みました。 それでも、ひと言も語りませんでした。 子羊のようにおとなしくほふり場へ引いて行かれ、 毛を刈り取られる羊のように、 非難を浴びせる者たちの前に黙って立ちました。


私は、ほふり場に引かれて行く子羊や牛のように、先にある危険に少しも気づいていませんでした。彼らが私を殺そうとしているとは、夢にも思わなかったのです。彼らは、「あの男を殺し、口を封じてしまおう。殺して、彼の名を永久に葬り去ろう」と相談していました。


私の心をご存じである主よ。 あなたは私がどんなにあなたを慕っているか、ご存じです。 神よ、どうか彼らを、哀れな羊のように、 ほふり場に引いて行ってください。 ああ神よ、彼らをさばいてください。


彼らを子羊のように、また雄羊や雄やぎのように、 ほふり場に引いて行く。


会堂から追放され、いのちまでつけねらわれる身になることを覚悟しなさい。事実、あなたがたを殺すことで神への奉仕を果たすのだと、人々がとんでもない思い違いをする時が来ます。


しかし、主イエスがしなさいと言われた務めをやり遂げるためなら、こんな取るに足らぬ命でも、喜んで投げ出す覚悟はできています。その務めとは、神の恵みの福音を伝えることです。


読んでいたのは、こういうところでした。 「その方は、 殺されるために引かれて行く羊のように、 また、 毛を刈る者たちの前で黙っている小羊のように、 口を開かなかった。 その方は卑しい者と見なされ、 正しいさばきも受けなかった。 だれが、この時代の人々の邪悪さを語れよう。 その方のいのちが地上から取り去られたからには。」(イザヤ53・7-9)


また、なぜ私たちは、いつも死に直面し、いのちの危険にさらされるのに甘んじているのでしょうか。


事実、私は毎日、死に直面しています。このことは、あなたがたの主にある成長を私が誇るのと同じように、確かなことです。


こんなイメージが浮かびます。神様は私たち使徒を、死罪の判決が下された捕虜のように凱旋行列の最後に引き出し、人々や天使の前で見せ物にされたのだ、と。


死を覚悟し、自分の無力さを痛いほど思い知らされました。しかし、それがよかったのです。というのは、そんな状態の中で、何もかも神にお任せしたからです。死者を復活させることさえできるお方なのですから。


彼らはキリストに仕えていると言うのですか。しかし、私はもっと仕えてきました。こんなに自慢をする私は、気でもおかしいのでしょうか。 私の労苦は彼らの比ではありません。投獄されたこともかなりの回数に及び、むち打たれたことは数えきれず、何度も死に直面しました。


この世から無視されても、私たちは神に認められています。死に直面しながらも、このとおり生きています。傷つけられたこともありますが、死を免れてきました。


私は今、ほかのことはいっさい考えず、ただこのことだけを求めています。つまり、真にキリストを知ること、キリストを復活させた力を、この身をもって体験すること、そして、キリストと共に苦しみ、また死ぬとはどういうことかを知ることです。


私たちに従ってください:

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