モーセが掟についてこう記した。 「もし人が、非の打ちどころなく善良であり、一生涯、誘惑にも負けず、ただの一度も過ちを犯さずにいられるなら、はじめて救われる」―― 【聖書:レビ記18:5より引用】
ローマ人への手紙 7:10 - ALIVEバイブル: 新約聖書 つまり、それによって私は“死んだのだ”。 私の場合、生命に導くはずの掟にふれ、かえって死へと落っこちてしまったわけだ。 Colloquial Japanese (1955) わたしは死んだ。そして、いのちに導くべき戒めそのものが、かえってわたしを死に導いて行くことがわかった。 リビングバイブル それで、私にとって、本来いのちの道を示してくれるはずの戒めが、かえって死の罰を科すものになってしまいました。 Japanese: 聖書 口語訳 わたしは死んだ。そして、いのちに導くべき戒めそのものが、かえってわたしを死に導いて行くことがわかった。 Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳 わたしは死にました。そして、命をもたらすはずの掟が、死に導くものであることが分かりました。 ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書) つまり、それによって私は死に導かれたのだ。掟の持っている力は私を「いのち」に連れて行くのではなく、逆に「死」へと導いたのだ。 聖書 口語訳 わたしは死んだ。そして、いのちに導くべき戒めそのものが、かえってわたしを死に導いて行くことがわかった。 |
モーセが掟についてこう記した。 「もし人が、非の打ちどころなく善良であり、一生涯、誘惑にも負けず、ただの一度も過ちを犯さずにいられるなら、はじめて救われる」―― 【聖書:レビ記18:5より引用】
神の掟を守ることで救われようと努力しても、神の怒りの鉄槌が下されるのがオチ。 なぜなら、神の掟を守ることで受け入れてもらうことは不可能だからだ。 掟を破らないためには、破るような掟を持たないに限る。
だが、死に通じる古い掟も、初めは輝かしい栄光をおびていた。 その栄光のまばゆさに、神の国の人たちは、モーセの顔をまともに見れないほどだった。 従うべき神の掟を示した時のモーセの顔は、神の栄光そのもので光り輝いていたからだ。 だが、その輝きは、やがて消え去る運命にあった。