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ローマ人への手紙 7:10 - ALIVEバイブル: 新約聖書

つまり、それによって私は“死んだのだ”。 私の場合、生命に導くはずの掟にふれ、かえって死へと落っこちてしまったわけだ。

この章を参照

Colloquial Japanese (1955)

わたしは死んだ。そして、いのちに導くべき戒めそのものが、かえってわたしを死に導いて行くことがわかった。

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リビングバイブル

それで、私にとって、本来いのちの道を示してくれるはずの戒めが、かえって死の罰を科すものになってしまいました。

この章を参照

Japanese: 聖書 口語訳

わたしは死んだ。そして、いのちに導くべき戒めそのものが、かえってわたしを死に導いて行くことがわかった。

この章を参照

Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳

わたしは死にました。そして、命をもたらすはずの掟が、死に導くものであることが分かりました。

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ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書)

つまり、それによって私は死に導かれたのだ。掟の持っている力は私を「いのち」に連れて行くのではなく、逆に「死」へと導いたのだ。

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聖書 口語訳

わたしは死んだ。そして、いのちに導くべき戒めそのものが、かえってわたしを死に導いて行くことがわかった。

この章を参照



ローマ人への手紙 7:10
10 相互参照  

モーセが掟についてこう記した。 「もし人が、非の打ちどころなく善良であり、一生涯、誘惑にも負けず、ただの一度も過ちを犯さずにいられるなら、はじめて救われる」―― 【聖書:レビ記18:5より引用】


神の掟を守ることで救われようと努力しても、神の怒りの鉄槌が下されるのがオチ。 なぜなら、神の掟を守ることで受け入れてもらうことは不可能だからだ。 掟を破らないためには、破るような掟を持たないに限る。


掟を知らなかったとき、私は無邪気だった。 しかし、掟が与えられたとき、罪の扉が開かれた。


だが、死に通じる古い掟も、初めは輝かしい栄光をおびていた。 その栄光のまばゆさに、神の国の人たちは、モーセの顔をまともに見れないほどだった。 従うべき神の掟を示した時のモーセの顔は、神の栄光そのもので光り輝いていたからだ。 だが、その輝きは、やがて消え去る運命にあった。


神を信頼して生きる道と、掟を守る道とは、なんと違うことか! 掟を守る道は、神が命じることに従う事で救われる、と教えている。