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コリント人への第一の手紙 1:29 - ALIVEバイブル: 新約聖書

だから、どこのだれであっても、神の前で自慢できることはない。

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Colloquial Japanese (1955)

それは、どんな人間でも、神のみまえに誇ることがないためである。

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リビングバイブル

ですから、どこのだれであっても、神の前で誇ることはできません。

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Japanese: 聖書 口語訳

それは、どんな人間でも、神のみまえに誇ることがないためである。

この章を参照

Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳

それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。

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ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書)

こうしたのも、誰であれ神の前に立って何かを自慢することが出来ないようにしたのだ。

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聖書 口語訳

それは、どんな人間でも、神のみまえに誇ることがないためである。

この章を参照



コリント人への第一の手紙 1:29
11 相互参照  

それで、イエス・救世主が私を用いて行ってくれたすべてのことについて、少しは誇っても問題はないだろう。


そんなわけで、神のさばきが、ユダヤ人に重々しくのしかかっている。 なぜなら、彼らは神の掟を守る責任があるのに、守らず、こうした悪事にふけっているからだ。 彼らのうち、1人として、申し開きのできる者はいない。 事実、全世界が全能の神の前に沈黙して立ち、有罪の宣告を受けているのだ。


それでは、救われるために、私たちユダヤ人は何か誇れるようなことをしただろうか? いいや、何もしていない。 なぜか? 私たちはユダヤの掟を守ることで無罪にはなれるわけではないからだ。 それはイエスが成し遂げてくれたことと、私たちが神に抱く信頼に基づいているのだ。


彼が神に受け入れられたのは、良い行ないをしたからだろうか? もしそうなら、彼は自慢できたはずだ。 しかし、神の目から見ると、アブラハムには、自慢する理由などみじんもなかった。


聖書にあるとおりだ。 「誰であろうと誇りたければ神様を誇れ」―― 【聖書:エレミヤ書9:24より引用】


いったい何について、そんなに得意がるのだ? あなたの持ちもので、神からもらわなかったものがあるか? その全部が神からもらったものなら、どうして、偉そうにふるまう? また、どうして自分の力で何かを成し遂げたような態度をとる?


誇らしげなみなさんが、こんな事件に目をつぶっているのは良くない。 「少しのイーストがすべてのパン生地を膨らませる」ということわざを知らないのか―― 【つまり、過ちを犯す人を対処しないのなら、それは教会すべてに悪い影響を及ぼすという意味】


救いは、私たちの良い行ないに対する報酬ではない。だから、だれ1人、それを手柄として誇ることはできない。