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コリント人への第一の手紙 1:29 - リビングバイブル

29 ですから、どこのだれであっても、神の前で誇ることはできません。

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ALIVEバイブル: 新約聖書

29 だから、どこのだれであっても、神の前で自慢できることはない。

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Colloquial Japanese (1955)

29 それは、どんな人間でも、神のみまえに誇ることがないためである。

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Japanese: 聖書 口語訳

29 それは、どんな人間でも、神のみまえに誇ることがないためである。

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Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳

29 それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。

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ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書)

29 こうしたのも、誰であれ神の前に立って何かを自慢することが出来ないようにしたのだ。

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聖書 口語訳

29 それは、どんな人間でも、神のみまえに誇ることがないためである。

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コリント人への第一の手紙 1:29
11 相互参照  

彼らは金に信頼し、 財産を誇っています。


しかし主は、きびしく問い返します。 「斧は主人に、 自分のほうに力があると自慢できるだろうか。 のこぎりは、それを使う人よりほめられるだろうか。 棒は、それを動かす手がなかったら、 人を打つことができるだろうか。 杖は一人で歩くことができるだろうか。」


主は命じます。 「知恵のある者は、知恵をひけらかしてはいけない。 力のある者は力を、金持ちは富を誇ってはいけない。


それで、キリスト・イエスが私を用いてなしてくださったことを、誇りに思っています。


そういうわけで、律法がユダヤ人に重くのしかかっています。なぜなら、彼らは律法を守る責任があるのに守らず、こうした悪にふけっているからです。彼らのうち一人として、申し開きのできる者はいません。事実、全世界が全能の神の前に沈黙して立ち、罪の宣告を受けているのです。


それでは、救われるために、私たちは何か誇れるようなことをしたでしょうか。何もしていません。なぜでしょう。私たちは自分の善行によって無罪とされるのではないからです。それは、キリストが成し遂げてくださったことと、キリストに対する私たちの信仰に基づいているのです。


聖書の、「だれでも誇ろうとする者は、主のなさったことだけを誇れ」(エレミヤ9・23-24)ということばどおりになるためです。


いったい何について、そんなに得意になるのですか。あなたの持ちもので、神からいただかなかったものがありますか。その全部が神からいただいたものなら、どうして、さも偉そうにふるまうのですか。また、どうして自力で何かを成し遂げたような態度をとるのですか。


あなたがたが、このようなことに目をつぶっているかと思うと、ぞっとします。たとえ一人でも、罪を犯すままに放任しておけば、やがてその影響が全員に及ぶことがわからないのですか。


救いは、私たちの良い行いに対する報酬ではありません。ですから、だれ一人、それを誇ることはできません。


私たちに従ってください:

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