創世記 50:10 - リビングバイブル10 やがてヨルダン川を越え、ゴレン・ハアタデ〔「アタデの打ち場」の意〕まで来ました。ひとまずそこで、おごそかな葬式を行い、七日間、ヨセフの父の死を追悼しました。 この章を参照Colloquial Japanese (1955)10 彼らはヨルダンの向こうのアタデの打ち場に行き着いて、そこで大いに嘆き、非常に悲しんだ。そしてヨセフは七日の間父のために嘆いた。 この章を参照Japanese: 聖書 口語訳10 彼らはヨルダンの向こうのアタデの打ち場に行き着いて、そこで大いに嘆き、非常に悲しんだ。そしてヨセフは七日の間父のために嘆いた。 この章を参照Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳10 一行はヨルダン川の東側にあるゴレン・アタドに着き、そこで非常に荘厳な葬儀を行った。父の追悼の儀式は七日間にわたって行われた。 この章を参照ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書)10 ヨルダン川の近くにあるアタデという場所にある、脱穀作業場と呼ばれる穀物の皮を剥く作業をする場所に差し掛かると、彼らはヤコブの死を追悼し、長い時間大声で泣いた。ヨセフは引き続き、7日間かけてヤコブのために葬式を行った。 この章を参照聖書 口語訳10 彼らはヨルダンの向こうのアタデの打ち場に行き着いて、そこで大いに嘆き、非常に悲しんだ。そしてヨセフは七日の間父のために嘆いた。 この章を参照 |
この書は、モーセがヨルダン川の東、モアブ平原のアラバ渓谷でイスラエルの人々に向けて語った時の記録です。当時、イスラエルの人々はそこに宿営していましたが、付近にはスフ、パラン、トフェル、ラバン、ハツェロテ、ディ・ザハブなどの町がありました。この時、ホレブ山(シナイ山)を出発してから四十年目の第十一月の一日(太陽暦二月十五日)でした。ホレブ山のふもとからカデシュ・バルネア〔約束の地パレスチナの南端〕までは、セイルの山地を通れば、普通なら歩いても十一日ほどで来られます。それはともかく、ヘシュボンでエモリ人の王シホンを、エデレイに近いアシュタロテでバシャンの王オグを打ち破ったあとのことでした。ここにたどり着くまでの間、主はいろいろな律法(教えと定め)をモーセを通して伝えましたが、それを全部まとめて、もう一度、モーセが説明し直したのです。