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コリント人への第一の手紙 4:5 - ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書)

5 だから、今はまだ誰がふさわしくて、ふさわしくないかを決めつけるべきではない!その判断は王であるイエスが来る時になされる。イエスは今、暗闇に隠れているもの全てに光を当て、私たちの心に秘められた本当の思いを明らかにする。そして、それぞれが受けるべき賞賛が神から与えらえるのだ。

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ALIVEバイブル: 新約聖書

5 だから、イエス様がまだお帰りにならないうちから、ある人が良い家来かどうか、せっかちに結論を下すことがないように注意しろ。 その王・イエスが来る時、すべては明るみに出される。 1人1人の心の奥底までが見通され、ありのままの姿が、だれの目にもはっきり見えるようになる。 そして、1人1人が、ふさわしい賞賛を神から受けるのだ。

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Colloquial Japanese (1955)

5 だから、主がこられるまでは、何事についても、先走りをしてさばいてはいけない。主は暗い中に隠れていることを明るみに出し、心の中で企てられていることを、あらわにされるであろう。その時には、神からそれぞれほまれを受けるであろう。

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リビングバイブル

5 ですから、主がまだここにお帰りにならないうちから、何についても性急に結論を下すことがないように注意しなさい。主が来られる時、すべては明るみに出されます。一人一人の心の奥底までが見通され、ありのままの姿がはっきり見えるようになります。その時、一人一人が、ふさわしい賞賛を神から受けるのです。

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Japanese: 聖書 口語訳

5 だから、主がこられるまでは、何事についても、先走りをしてさばいてはいけない。主は暗い中に隠れていることを明るみに出し、心の中で企てられていることを、あらわにされるであろう。その時には、神からそれぞれほまれを受けるであろう。

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Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳

5 ですから、主が来られるまでは、先走って何も裁いてはいけません。主は闇の中に隠されている秘密を明るみに出し、人の心の企てをも明らかにされます。そのとき、おのおのは神からおほめにあずかります。

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聖書 口語訳

5 だから、主がこられるまでは、何事についても、先走りをしてさばいてはいけない。主は暗い中に隠れていることを明るみに出し、心の中で企てられていることを、あらわにされるであろう。その時には、神からそれぞれほまれを受けるであろう。

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コリント人への第一の手紙 4:5
48 相互参照  

賢さを持つ人々は称賛を集めるが、 ねじれた心を持つ人を尊敬する人など一人もいない。


だから人を恐れるんじゃない!どんなに隠されたものもいつかは公になり、秘密は全て明かされる。


人の子の訪れをあらわす前兆が空に起きると、その恐れから全地の人が嘆く。すると、人の子が雲に乗り、神の栄光と権威をまとって来るのを目にするだろう!


主人が帰って来た時に、言われたことをしっかりとやっている姿を見られたら、召使いにとってこれ以上な日はないだろう。


主人は答えた。『でかした!信頼に値する良い召使いだ!少額にもかかわらず、素晴らしい働きをしたお前になら、もっと大きなものを任せよう!さあ私と宴をしよう!』


主人は答えた。『でかした!信頼に値する良い召使いだ!少額にもかかわらず、素晴らしい働きをしたお前になら、もっと大きなものを任せよう!さぁ、私と宴をしよう!』


「偏見を持つな。そうすれば、神はお前たちを裁きやしない。他人を非難するな!そうすれば、神はお前たちを非難しない。赦せ!そうすれば赦される。


イエスは答えた。「俺が戻ってくるまで、彼には生きていてほしい・・・。しかし、そんなことはお前にとって関係のないことだ。お前は俺についてくれば良い!」


こうしてイエスの弟子たちの間で、ある話が広まった。弟子たちが言っていたのは、この弟子は死なないのではないかということだ。だが、イエスは彼が死なないとは言っていなかった。イエスが言ったのは、「俺が戻ってくるまで、彼には生きていてほしい・・・。しかし、そんなことはお前にとって関係のないことだ」としか言っていない。


あなた方はお互いから褒められたがる。だが、唯一の神からくる褒め言葉をもらおうとはしない。そんなことをして、どうやってあなた方は信じられるのか?


要するに、他人に仕えている者たちに対しても、勝手に決めつけてはいけないということだ。彼らのことを受け入れるのか受け入れないのかはあなた達ではなく、その主人が決めることだからだ。結局のところ、神は彼らを受け入れるだろう。なぜならば、王である神がこの様なことを意図して起こしているからだ。


では、あなた達はどうだ?彼らを非難する立場にあるのか?それはないだろう!それは絶対に間違っている!他人を指摘するくせに、あなた達だって同じことをしているじゃないか!彼らのことを白い目で見ているくせに、自分も同類だというのが分からないのか!?


つまり、裁きの日になると全ての人が秘密にしていたそのものが裁かれるのだ。(良いニュースを伝えるとすれば、その裁きは全てイエス・キリストをとおして行われるということだ)


真のユダヤ人とは、外見ではなく、心を神に認められた者たちのことだ。体の割礼を受けて肉体の一部を切り取った人ではなく、心の割礼で心から闇が切り取られた人。その人こそ真のユダヤ人だ。それは、掟に従うことによってなされるのではなく、聖霊によってなされるのだ。そう!人からではなく、聖霊によって心の割礼を受けた人、人生が変わった人こそ、神から褒めてもらえるのだ!


良い行いに対して疲れ知らずの人もいる。神に与えられる栄誉と謙遜のために生きている彼らの人生には破壊はない。神はそのような人々に永遠のいのちを与えるだろう。


あなたが持っていない才能はあるかい?いや、私たちの王であるイエス・キリストが現れるまでに必要な才能は全て備わっているはずだ。


まだ納得出来ない人もいるかもしれないが、私たち、または神に従う教会たちはこのことを決まり事として行うのだ。:女性が頭を覆っていれば、祈ったり預言しても良い。


このパンを食べて、この一杯を飲むということは、イエスが再び来るまで彼の死を宣言し続けるということなんだ。


1人1人順番に従って、救い主が最初の復活の実となり、救い主に属する全ての人が彼が戻って来る時に次々と復活の実となるのだ。


しかし、それぞれのその仕事の本当の価値は、最後の判決の日に明らかにされる。その日は火と共にやって来て、その火が全ての人の仕事を検証する。


もし建物がその後でも立ち続けているなら、それを建てた人はその報酬を与えられる。


種をまく人にも水をやる人にも同じ目的がある。そして、それぞれ自分のした仕事に応じて報酬を受け取るだろう。


自分自身のことを見せびらかす言葉に重みはない。重要なのは、イエスが「良くやった!」と言ってくれるかどうかだけだ。


手紙を書くことでみんなをビビらせようとしているのではない。


こそこそと企んだり、人に媚を売るようなやり方を私たちは認めない。ダマして何かへとハメることも断固拒否だ。もっと人受けを良くするために神のことばを曲げたりはしない。その代わりに、神のことばの真実を明確に教え、真理をそのまま宣言する。そうやって自分たちがこの仕事に選ばれていることを神を証人として、全ての人の良心に訴えている。


なぜなら、私たちはみんな、救い主がいる審査の席の前に立つ日を迎えるからだ。そして地上のこのテントでの人生を評価され、良いことにも悪いことにもそれに応じた報酬を受け取ることとなるのだ。


知ってのとおり、王であるイエスが再び戻ってくる日は、夜中に忍び込む泥棒のように来るのであって、言い当てることなど出来ないのだ。


私たちのものは全て、神から隠すことはできないのだ。神にとって全てがお見通しで、全ては丸裸にされるのだ。全ての物は神の前で公にされ、私たちはそこでどのように生活していたかを説明しなければならないのだ。


教会の家族たちよ!互いを批判し合ってはいけない。もしあなた達が自分の教会の家族を批判して裁くのなら、あなた達のしていることは、彼らが従っている掟や批判を裁いているということになる。あなた達が掟を裁いているなら、あなた達は掟に従っている人々ではなく、ただ掟を裁く人々になってしまっているということなのだ。


教会の兄弟、姉妹たちよ!根気強く王であるイエスが戻って来るのを待っていなさい。忍耐を働かせ、その日を待つのだ。まるで良い作物が育ち、収穫できるその日を待つかのように。秋の雨と春の雨を待つ農夫のように辛抱強く待つのだ。


兄弟、姉妹たちよ!互いのことについてぶつぶつ文句を言うのは止めなさい!その非難の口を止めないのなら、あなた達が有罪の判決を受けることになる。そして、その判決はもうじきやって来る!


これらの困難によって、私たちが本当に神を信頼しているかどうかがはっきりと試されるのだ。まるでそれは金が本物の金かを試す火のように。しかし、信仰は純金に勝る!純金は滅びるが信仰は永遠だ!そして、その信仰が本物だと証明されたなら、イエス・キリストが再び地上に来る時、あなた達は神にその心を褒められ、名誉を受けることになるだろう!


そうすれば素晴らしい羊飼い、すなわちイエスがやって来る時にあなた達は褒美として永遠に朽ちない栄光の冠をいただけるだろう。


その日を今か今かと待ち望み、その日が早く来ることを何よりも望むべきだ!いったんその日が来たら、神は空に火を放ち、空にある全てのものは溶けてなくなる。


彼らはこう言うだろう・・・「イエスがまた戻るって?それじゃ今、イエスはどこにいるんだ?私たちの父親たちは死に、この世界は創られた時から何一つ変わらず動いているじゃないか」と・・・


アダムより7世代後のエノクは、この様な連中についてこう言っている。


見ておきなさい。イエスが雲と一緒にやって来るのを!全ての人が彼を見る。彼の体に穴をあけた人たちでさえも。地上にいる全ての人が彼のことで悲しむのだ。これは必ず起きる!アーメン


そして大きい者も、小さき者も、死んだ者たちが王座の前に立っているのを私は見た。いくつかの書が開かれると、また他の書も開かれた。それは、いのちの書である。人々はこの書に記録されている彼らの行いによって裁かれた。


私たちに従ってください:

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