いのちが惜しければ命令を守りなさい。 命令を無視する者は死にます。
怒り狂い、のたうち回って息絶えるだけだ。
みことばをおろそかにすると苦しい目に会い、 みことばに従えば成功します。
神を恐れる人は悪を行いません。 その道を歩む者は安全です。
わきまえのない怠け者は、 のたれ死にするしかありません。
口を開かないでいれば、 苦難に陥ることもありません。
神の教えに背く者の道には、 危険な罠が待ち受けています。 自分を大切にする人は、決してそこに近寄りません。
神を知らない民は好き勝手に振る舞い、 手がつけられませんが、 国中の人が神の教えを守ろうとする国は幸いです。
わが子よ。私の教えたことを忘れてはいけません。 充実した生涯を送りたければ、 私の命令を忠実に守りなさい。
これが私の最終的な結論です。神を恐れ、その命令に従いなさい。これこそ人間の本分です。
従順な者は罰せられることがない。 知恵ある者は、 自分のことばを実行する時と方法とを知っている。
わたしの真意はこうだ。わたしに従いさえすれば、わたしはおまえたちの神となり、おまえたちはわたしの民となる。わたしの命令どおりにしさえすれば、何もかもうまくいく。
警告を聞いてもそれに従わなかったのだから、非は彼にある。警告に従っていたら、助かっただろう。
たとえ、全世界を自分のものにしても、永遠のいのちを失ってしまったら、何の得になるでしょう。いったい、永遠のいのちほど価値のあるものが、ほかにあるでしょうか。
「そう、そのとおりにすればいいのです。そうすれば、永遠のいのちを得られます。」
しかしイエスは、「そのとおりです。でも、神のことばを聞いて、そのとおり実行する人のほうが、もっと祝福されているのです」と言われました。
わたしを愛するなら、わたしの戒めを守りなさい。
クリスチャンは、割礼を受けているかどうかで、違いはないからです。真に神を喜ばせ、神の戒めを守っているかどうかが重要なのです。
また、願い求めるものは何でもいただけるのです。なぜなら、私たちは主に従い、主に喜ばれる行いをしているからです。
神を愛するとは、そのご命令を守ることです。決してむずかしいことではありません。
都の門から入る資格と、いのちの木の実を食べる権利とを受けたいと願い、自分の衣服を洗う人は幸いです。