主は絶対安全なとりで、 正しい人はその中に逃げ込みます。
アブラムが九十九歳になった時、主が彼に現れました。「わたしは全能の神である。わたしの命令に従って正しく生きなさい。
神様、どうかお助けください。兄はどんな手荒なことをするかわかりません。私たち一家を皆殺しにするかもしれないのです。考えただけでもぞっとします。
「主は私の岩、私のとりで、私の救い主。
私はそのうちに隠れよう。 神こそ私の岩、隠れ家、私の盾、救い、 逃れ場となるやぐら。 すべての敵から救い出してくださった方に感謝しよう。
主はすばらしい救いを王に示し、 油注がれたダビデとその子孫とに あわれみをかけてくださる。とこしえまでも。」
いつも恵み深く、愛を注いでくださる主は、 私の要塞であり、びくともしないやぐらです。 私を救ってくださる神は、 盾となって立ちはだかってくださいます。 こうして、神は 民を私に服従させてくださるのです。
主は、安心して身を寄せることのできるとりでです。 誰ひとり、このとりでに入って来て、 私を殺すことはできません。 主は、身を隠すことができる険しい山であり、 私の救い主です。 だれも近づくことのできない岩、安全を守る塔、 また私の盾です。
主がシオンの聖所から、 助けの手を伸べてくださいますように。
主は私の光、また救いです。 だれを恐れる必要がありましょう。
主はこう言っておられます。 「わたしを愛する者を、救い出そう。 わたしを信頼する者を偉大な人物にしよう。
私は宣言します。 「神こそ私の避難所、また安全地帯です。 この神への信頼を失うことはありません。」
神を恐れる人は頑健で、 子どもたちは安心して、その人に頼ります。
人を恐れることは危険な罠ですが、 主に頼れば安心です。
どんなときでも、神である主に信頼しなさい。 あなたの永遠の力は主のうちにあるからです。
永遠を住まいとする 高く上げられた聖なるお方が語ります。 「わたしは高くて聖なる所に住んでいるが、 そこには、心のへりくだった謙遜な人が住む。 わたしは謙遜な人を生き返らせ、 悔い改めた人に新たな勇気を起こさせる。
一人の男の子が私たちのために生まれます。 その肩にすべての主権が与えられ、 その子は、「すばらしい助言者」「全能の神」 「永遠の父」「平和の君」と呼ばれます。
神、主は私の力です。 私を鹿のように速く走れるようにし、 山の向こうに安全に連れて行ってくださるのです。 (聖歌隊の指揮者のために。 この頌歌を歌うときは弦楽器の伴奏で歌うこと。)
『見よ。処女がみごもって、男の子を産む。その子はインマヌエル〔神が私たちと共におられる〕と呼ばれる。』(イザヤ7・14)」
今も昔も存在し、やがて来られる全能の主なる神が、こう言われます。「わたしはあらゆることの初めであり、終わりである。」(イザヤ41・4)
ダビデも負けずに答えました。「おまえは剣と槍で立ち向かって来るが、私は天地の主であり、おまえがばかにしたイスラエルの主のお名前によって立ち向かうのだ。
ダビデは苦しみました。さらに悪いことに、子どもたちの身を案じて悲しむあまり、部下の中からダビデを殺そうとする動きさえ出始めたのです。しかし、ダビデは主から力づけられました。