自分のことしか考えない者は、 あらゆる規則に盾をつき、 自分のやり方を押し通します。
あなたが共にいてくださらなければ、私とこの民があなたのお心にかなっていること、また、地上の他の民とは違うことがどうしてわかりましょう。」
悲しみも喜びも、真にわかるのはその人自身で、 他の人が完全に共有することはできません。
いったん火のついた争いごとは、 なかなか収まりません。 だから、初めから争いはしないことです。
おしゃべり好きにうっかり秘密をもらすと、 世界中に喧伝されます。
争いを避けるのは名誉なことです。 けんか好きなのは愚か者だけです。
わが子よ。主と王の前では注意深く行動しなさい。 過激な者たちとつき合ってはいけません。 彼らのいのちは短く、 思いもよらない災いに会うからです。
関係もないことに口出しするのは、 犬の耳を引っ張るのと同じくらいばかげています。
二つのものを求めなさい。 善悪を見分ける知恵と良識です。 この二つを見失ってはいけません。
「わたし、知恵が ためになることを教えてあげよう。 王が国を治めるのも、裁判官が善悪を見分けるのも、 わたしによる。
私は、笑いさざめく彼らの宴会に 列席しませんでした。 神の御手のもとに一人で座っています。 彼らの罪ために、心は憤りで張り裂けんばかりです。 ところが神は、いざという時に 私を助けてくれませんでした。 迫害をやめさせてくれなかったのです。 彼らは、私に害を加える手を、 ただのひと時も止めないのでしょうか。 神の助けは、ある時は水があふれ、 ある時は干上がってしまう谷川のように、 あてにならないものです。」
毎年第五の月に断食をして嘆くという伝統的習慣を続けるべきかどうか、祭司や預言者に尋ねるためでした。
「あなたがたには神の国を理解することが許されていますが、ほかの人たちはそうではないからです。」イエスはこう答え、
神の国は、ある人が畑の中で見つけた宝のようなものです。見つけた人はもう大喜びで、だれにも知らせず、全財産をはたいてその畑を買い、宝を手に入れるに違いありません。
翌朝、イエスは夜明け前に起き、ただひとり、人気のない所へ行って祈られました。
イエスはお答えになりました。「あなたがたには、神の国の真理を知ることが許されていますが、ほかの人には隠されているのです。
キリスト・イエスに仕える者であり、伝道者として選ばれ、神の福音(キリストによる救いの知らせ)を伝えるために遣わされたパウロが、この手紙を送ります。
それゆえ、主はこう言っておられます。 「彼ら(神の民)から立ち去り、縁を切れ。 その汚れたものに触れてはならない。(イザヤ52・11) そうすれば、わたしはあなたがたを迎え入れ、
ひづめが分かれていて反芻する動物は、食べてかまいません。
彼らはこの世の悪を愛し、人々をあおりたてて議論をしかけ、分裂させます。彼らの心の中には、聖霊が住んでおられないのです。