私は自分のしていることがわかりません。ほんとうは正しいことをしたいのに、できないのです。反対に、したくないこと、憎んでいることをしてしまいます。
罪を犯さない人間などいませんから、あなたに罪を犯し、あなたのお怒りをこうむって、外国に捕虜として連れて行かれることもあるでしょう。
主はご自分に従う人の行く道を、 守ってくださいますが、 神に背く者の行き着く先は滅びです。
卑しいものを退け、あらゆる不正を憎んで、 それにかかわることがないように助けください。
あなたの戒めから受ける 真の知恵と理解力のおかげで、 私はまちがったすべての教えを 退けることができました。
神に従おうかどうしようかと迷う 優柔不断な人々を、私は軽蔑します。 私は、あなたの教えを愛する心を貫きます。
あなたのおきては、どれを取っても正しいのです。 この道以外に慕うべき道はありません。
私はどんなうそでも徹底して憎み、 あなたのおきてを心から愛します。
あなたのお心に従いたいと思うように助けてください。 そうすれば私は、あなたのおきてに さらに情熱を傾けることができるでしょう。
私はあなたのおきてを守りたいと、 ひたすら願っています。 どうぞ私を生かしてください。
しかし人は、心にひそむ罪を どうして知ることができましょう。 どうか、隠れた罪からきよめてください。
夜通し悪事を企む彼らには、 悪事から遠ざかろうという気持ちなど、 みじんもないのです。
たとえ私の心が罪に占領されていようと、 あなたはすべての罪を赦してくださいます。
主は、悪を憎む人をいとおしまれます。 主の民はいのちを守られ、 悪者の手から救い出されます。
正しい人はうそを憎み、 悪者はうそばかりついて恥をかきます。
主をないがしろにしないで尊ぶ人は、 悪いことがきらいです。 知恵のある人はみな、 傲慢や腐敗やごまかしをきらいます。
この世界には、いつも品行方正で一度も罪を犯さない人など一人もいません。
悪を憎み、善を愛して、正しい裁判を行いなさい。 あるいは、天の軍勢の神である主が、 残っているご自身の民を あわれんでくださるかもしれない。
主はいつくしみ深い方、 苦難に会うとき、身を寄せるべき場所だ。 主は、ご自分に信頼する者をすべて知っている。
人殺しと少しも変わりません。先祖が殺した預言者たちの記念碑を建て、『先祖は正しかった』と認めているのですから。だから、あなたがたも、きっと同じことをしたでしょう。
あなたがたはもう使用人ではありません。今からは、わたしの友です。主人は使用人に秘密を打ち明けたりはしません。しかし、わたしは父から聞いたことをみな、あなたがたに話しました。
見せかけだけで人を愛してはいけません。真心から愛しなさい。悪いことを憎み、良いことには賛成しなさい。
自分のしていることが神の目から見て潔白だと思っていても、その確信は心にしまっておきなさい。正しいと思うことをして、それが罪を犯すことにならない人こそ幸せです。
自分の行いが誤っていること、律法は良いものであることが、私にはわかっています。
私たちの生まれながらの性質は、聖霊がお命じになることとは正反対の悪を好みます。一方、聖霊の導きに従って歩んでいる時に行いたくなる善は、生まれながらの肉の願望とは正反対のものです。内面のこの二つの力は、どちらも私たちを思いどおりに動かそうと、いつも格闘しています。そして私たちは、この二つの力の板ばさみになって、したいと思うことが自由にできない状態なのです。
しかし神の真理は、巨大な岩のようにしっかり立っていて、だれも揺るがすことはできません。この土台となる石には、次のようなことばが刻まれています。「主は、真に自分に属する者を知っておられる。」また、「主を告白するすべての人は、悪から遠ざかりなさい。」
あなたは正義を愛し、悪を憎む。 それであなたの神(父なる神)は、 ほかのだれよりも多く、 あなたに喜びを注がれた。」(詩篇45・6-7)
また、ことばを制御できる人は、すべての点で自分を完全に制することができる人です。
そういう人々を、地獄の火から奪い取って救い出しなさい。あるいは、親切にして、彼らが主を見いだすよう助けてあげなさい。しかし、彼らの罪に引きずられてはなりません。罪人である彼らに心はかけても、罪そのものは憎みなさい。