罪深い悪者は肩で風を切って歩くが、 急に足もとが危うくなり、 全身の力が抜けていくのがわかる。
自分の顧問であったアヒトフェルが、事もあろうにアブシャロムに加担している、という情報を得た時、ダビデは、「主よ。どうか、アヒトフェルがアブシャロムに愚かな助言をするよう導いてください」と祈りました。
アブシャロムをはじめイスラエル人はみな、「フシャイの意見のほうが、アヒトフェルの考えよりすぐれている」と思いました。実は、これはみな、アブシャロムを痛めつけようという、主の意図によるものでした。実際には、退けられたアヒトフェルの進言のほうが、ずっと上策だったのです。
シリヤの王は首をかしげ、家臣たちを呼んできびしく追及しました。「この中に裏切り者がいる。こちらの作戦を敵に通報している者がいるはずだ。」
罪人呼ばわりされるのが不満らしいが、 それもこれも、みなあなたが悪いからだ。
権力を振りかざしている彼を、いきなり災難が襲う。 不幸な人たちは、寄ってたかって彼を食い物にする。
神はどんなにか、あなたを危険から救い出し、 心地いい広々とした所へ連れて行き、 そこであなたを繁栄させたいと思っていることか。
主は、私を大またで歩かせ、 しかも足がすべらないようにしてくださいました。
主はひと息で、反抗的な国々の策略を吹き消されます。
正しい人は正直に生き、 悪人は犯した罪の重さに耐えられず、 ついには押しつぶされてしまいます。
そのように生きれば、もたつかないで歩み、 走ってもつまずきません。
この子牛の神の像は、 彼らがアッシリヤに奴隷となって行く時、 そこの大王への贈り物としていっしょに運ばれます。 こんな偶像に信頼していたのかと エフライムはあざけられ、イスラエルは恥をかきます。
この世の知恵は、神から見れば愚かだからです。聖書のヨブ記に、「神は人の知恵を、その人を捕らえるわなとして用いられる」(5・13)と書いてあるとおりです。つまり、人は自分の「知恵」につまずいて倒れるのです。