まさに、御使いと格闘して勝ちました。 彼は御使いに、祝福してくれるようにと 泣いて頼みました。 ベテルでは、 神と顔と顔を合わせるようにして出会い、 神は彼に語りかけました。
次に生まれた弟は、エサウのかかとをつかんでいました。そこでヤコブ〔「つかむ人」の意〕と呼ばれました。ふたごが生まれた時、イサクは六十歳でした。
なかなか勝負がつきません。その人はヤコブに勝てないとわかると、ヤコブの腰を打って関節をはずしてしまいました。
「もう行かせてくれ。じきに夜が明ける。」その人が頼みました。 しかしヤコブは、はあはあと息を切らせながら答えました。 「私を祝福してくださるまでは絶対に放しません。」
「よろしければ、お名前を聞かせてください。」 「いや、それはできない。」そう答えると、その人はその場でヤコブを祝福しました。
このことがあってから、ヤコブはそこをベテル〔「神の家」の意〕と名づけました。
次に、イスラエルはヨセフを祝福しました。「祖父アブラハム、父イサクの神様。羊飼いのように、私を生涯守ってくださった神様。
神は、海の中に乾いた道を与えてくださいました。 人々はそこを踏みしめて渡りました。 その日、人々はどれほど興奮し、 喜びにあふれたことでしょう。
彼らが苦しむとき、神はいつもいっしょに苦しみ、 彼らを救い出しました。 神は、ご自分の愛によって彼らを買い戻し、 彼らを高く掲げ、これまでずっと彼らを導きました。
「聞きなさい。 わたしはわたしが行く前に使者を遣わして、 道を備えさせる。 そののち、あなたがたが探し求めている主が、 突如として神殿にやって来る。 神が約束したその使者は、 あなたがたに大きな喜びをもたらす。 必ず彼は来る。」 全能の主は語ります。
それから、なお生きて地上に残っている私たちが、いっしょに雲に包まれて引き上げられ、空中で主とお会いするのです。そして、いつまでも主と共に過ごすことになります。
キリストはこの地上におられた時、死から救うことのできるただひとりの方に、うめきと涙とをもって祈られました。この祈りは、どんな場合にも神に従おうとする、キリストの謙遜で切なる願いのゆえに聞き入れられたのです。