ローマ人への手紙 7:10 - リビングバイブル それで、私にとって、本来いのちの道を示してくれるはずの戒めが、かえって死の罰を科すものになってしまいました。 ALIVEバイブル: 新約聖書 つまり、それによって私は“死んだのだ”。 私の場合、生命に導くはずの掟にふれ、かえって死へと落っこちてしまったわけだ。 Colloquial Japanese (1955) わたしは死んだ。そして、いのちに導くべき戒めそのものが、かえってわたしを死に導いて行くことがわかった。 Japanese: 聖書 口語訳 わたしは死んだ。そして、いのちに導くべき戒めそのものが、かえってわたしを死に導いて行くことがわかった。 Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳 わたしは死にました。そして、命をもたらすはずの掟が、死に導くものであることが分かりました。 ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書) つまり、それによって私は死に導かれたのだ。掟の持っている力は私を「いのち」に連れて行くのではなく、逆に「死」へと導いたのだ。 聖書 口語訳 わたしは死んだ。そして、いのちに導くべき戒めそのものが、かえってわたしを死に導いて行くことがわかった。 |
それなのに、イスラエルはわたしに逆らった。あの荒野で、わたしのおきてに従うことを拒んだのだ。わたしの定めを守るなら真のいのちが与えられるのに、それを守ろうとはしなかった。安息日も悪用した。それで、わたしは怒りを爆発させ、荒野で彼らを滅ぼしてしまおうと考えた。
しかし、子どもたちもまた、わたしに逆らった。わたしのおきてを守るなら、正しく生きることができるのに、それを拒んだ。安息日も汚した。そこでわたしは言った。『もう限界だ。今すぐ、この荒野で、あなたがたに怒りを注ぎ出す。』
しかし実際、律法を守ることによって神の祝福と救いとを得ようとしても、結局は、神の怒りを招く結果に終わるだけです。律法を破らないためには、破るような律法を持たないようにするしかありません。
けれども、死に通じる、石板に刻まれた文字による方法(出エジプト31・18)も、初めは輝かしい栄光をおびていたのです。その栄光のまばゆさに、イスラエルの人々は、モーセの顔をまともに見られないほどでした。従うべき神の律法を示した時のモーセの顔は、神の栄光そのもので光り輝いていたからです。――もっとも、その輝きは、やがて消え去る運命にあったのですが。