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コリント人への第一の手紙 10:25 - リビングバイブル

こうすればよいのです。市場で売られている肉は、どれでも自由に食べなさい。それが偶像に供えられた物かどうか、いちいち尋ねなくてよいのです。そうすれば良心を傷つけることもないでしょう。

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ALIVEバイブル: 新約聖書

こうすればいい。市場で売られている肉は、どれでも自由に食べ、食べるべき物かどうか、いちいち尋ねるんじゃあない。

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Colloquial Japanese (1955)

すべて市場で売られている物は、いちいち良心に問うことをしないで、食べるがよい。

この章を参照

Japanese: 聖書 口語訳

すべて市場で売られている物は、いちいち良心に問うことをしないで、食べるがよい。

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Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳

市場で売っているものは、良心の問題としていちいち詮索せず、何でも食べなさい。

この章を参照

ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書)

肉屋の肉は何でも食べて良い!食べてはいけない肉なのかどうかをわざわざ聞き出さないでくれ!

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聖書 口語訳

すべて市場で売られている物は、いちいち良心に問うことをしないで、食べるがよい。

この章を参照



コリント人への第一の手紙 10:25
7 相互参照  

「ペテロよ、神に反対するのか。神がきよいと言うものはきよいのだ。」


法に従う理由は二つあります。第一に、罰を受けないためであり、第二に、良心がそれを守るべきだとわかっているからです。


私が主イエスの権威に基づいて確信しているのは、それ自体汚れているものは何一つないということです。ですから、偶像に供えた肉を食べることは悪くありません。しかし、それを悪いと信じている人がいるなら、悪いことは避けるべきですから、その人は食べてはいけません。


けれども、クリスチャンの中には、このことがわかっていない人もいます。そういう人はこれまでずっと、偶像を生きているもののように考えてきたので、ただの偶像に供えられたにすぎない物を、あたかも実在する神々に供えたかのように思ってしまうのです。そのため、それを食べることがひどく気になり、傷つきやすい良心が痛むのです。


神がお造りになったものはみな良い物で、感謝して受ければ、何一つ捨てる必要はありません。


きよい心の持ち主には、すべてのものがきよく、良いものに見えます。しかし、心の曲がった不真実な者には、すべてが曲がって見えるのです。それは、その汚れた思いと反抗的な心が、見るもの聞くものすべてをゆがめるからです。