苦悶に沈みながら、あえぐように助けを求めています。 夜通し祈り、天に手を差し伸べて嘆願しています。 祈りが聞かれるまでは、 喜びなど私には関係がありません。
「いや、もうヤコブではない。神と戦い、人と戦って強さを示したのだから、イスラエルと変えるがいい。」
家族が慰めようとしても、耳を貸そうともしません。「あの子は死んでしまった。何もかもおしまいだ。私もこのまま死んでしまいたい」と言って泣きました。
この地にききん、災害、立ち枯れ、いなごや油虫の害が発生したり、敵が攻め込んで来て町々を包囲したりしたとき、たとえそれがどんな災難であっても、
神の方を向き、手を差し伸べる前に、 まず自分の罪を除き去り、 いっさいの悪から遠ざかるべきだ。
苦しみの中で、私は主の助けを叫び求めました。 その声を、主は天から聞いてくださいました。 叫びは届いたのです。
朝、昼、晩と、私は神に祈り、大声で嘆願します。 すると、主はその願いを聞き入れてくださいます。
私は夜、横になったまま、
苦しいことに出会うたび、私はあなたを呼び求めます。 すると、あなたは助けてくださるのです。
心がしっかりしていれば病気にも負けません。 しかし、心が失せたら望みはありません。
神よ、彼らは苦しいときに神を求めました。 神の罰が下った時、絶え入るような声で祈りました。
私は夜通し神を探し求めます。真剣に尋ねます。 あなたがさばきの神として地上に下り、 罰を加えなければ、 人々は悪を離れ、正しいことを行わないからです。
主は私に、再び語りました。 「ラマ(バビロンの捕虜となったユダヤ人が集合させられた場所)で激しい泣き声が聞こえる。 ラケル(ヤコブの妻。 イスラエル王国の母として象徴的に言われている)は 子どものために泣いているが、 どうしても慰めることはできない。 それは、子どもがいなくなったからだ。」
エフライムとユダが自分たちの病状を知ると、 エフライムはアッシリヤの大王に頼ろうとする。 だが、大王は助けることも、治すこともできない。
『さあ、主に帰ろう。 私たちを引き裂いたのは主だ。 その方が治してくださる。 主は傷つけたが、手当てしてくださる。
マリヤを慰めていたユダヤ人たちは、彼女がそそくさと出て行くのを見て、きっと墓へ泣きに行くのだろうと思って、あとについて行きました。
キリストはこの地上におられた時、死から救うことのできるただひとりの方に、うめきと涙とをもって祈られました。この祈りは、どんな場合にも神に従おうとする、キリストの謙遜で切なる願いのゆえに聞き入れられたのです。