暗闇に閉じ込められて目が見えなくなり、 骨と皮ばかりに衰えますように。
男が子どもを産むだろうか。 そんなことはありえないのに、 どうして彼らは、真っ青な顔をして、 産婦のように腰に手を当てて立っているのか。』」
恐ろしさのあまり、王の顔は蒼白となりひざはがくがくと震えだし、その場に座り込んでしまいました。
彼らの目は見えなくなれ。 重荷を負わされて、 いつまでも背中を曲げたまま歩くがいい。」(詩篇69・22-23)
愛する皆さん。この神の真理を知っていただきたいのです。そうすれば、高ぶったり、自慢したりすることもないでしょう。確かに今、ユダヤ人のある者はこの救いの真理に反対していますが、そのような状態が続くのは、あなたがた外国人のうち、救いを願う者がすべてキリストのもとに来るまでの間にすぎません。
覆いがかけられたのは、モーセの顔だけではありません。イスラエルの人々の霊的理解力も覆われたのです。今でも、聖書が朗読される時、ユダヤ人の思いには、厚い覆いがかかっているように思えます。というのは、聖書のほんとうの意味を知ることも、理解することもできないからです。この覆いは、キリストを信じて初めて取り除かれるのです。