彼らのことばにはみな裏があり、 一かけらの真実もありません。 知恵や善行とは無縁の連中です。
私は主から離れなかった。
父アサ王のように主の前に良い王で、いつも主に従おうとしました。
彼らの口には、 冒瀆と偽りと欺きとが満ちています。 常に悪だくみを自慢の種にしています。
そして、悪者どもは、処刑場へ連れ去ってください。 イスラエルに平和がありますように。
彼らのことばは、毒蛇の牙のように人を刺すのです。
彼らはうそばかりつき、心は悪い思いで満ちています。 彼らの誘いには罪と死の悪臭がただよいます。 彼らは甘いことばで人々を欺き、 邪悪な目的をはたそうとしています。
口当たりのいいことばの裏には殺意が、 甘いことばの中には剣が隠されているのです。
こんな者たちは生まれながらの罪人で、 最初に覚えたのがうそをつくことなのです。
愚か者どもよ。
彼らは一日分の悪事を働かないと、 その夜はおちおち眠ることもできず、 人をつまずかせないうちは ゆっくり休むこともできません。
「わたしの民が愚かなことをやめるまでだ。 彼らは、わたしの言うことを聞こうとしない。 理解力のない子で、判断力がない。 悪いことをするとなると素早いが、 正しいことをする才能など、 まるで持ち合わせていない。」
だが、もう遅い。 イスラエルはまたとない機会を軽蔑して投げ捨てた。 だから今、敵に追いかけられることになる。
そして、以前は主を礼拝していたのに 今は礼拝していない者や、主を愛したことも 愛そうと思ったこともない者を滅ぼす。」
帰って見ると、もとの家はすみずみまで掃除が行き届き、きれいになっています。
私たちは、神に背を向けて滅びる者ではなく、信じていのちを得る者なのです。
キリストに敵対する者たちは、これまでずっと私たちの教会員のふりをしていましたが、ほんとうの仲間ではなかったのです。そうでなければ、教会にとどまり続けたはずです。彼らが出て行った時、私たちの仲間でなかったことが証明されたのです。
「今さら、むだなことだ! 主のご命令を退けたあなたを、主もイスラエルの王位から退けられたのだ。」
一方、主の霊はサウルから離れ、主が代わりに災いの霊を送り込まれたので、彼はいつも気が滅入り、何かにおびえるようになりました。
「あいつをペリシテ人の手で殺す機会が、また巡って来た」とほくそ笑み、さっそくダビデを呼びつけると、「今度こそ婿になってくれ。末の娘をやろう」と言いました。
「私がばかだった。ああダビデ、帰って来なさい。もう、おまえを殺そうとはしないから。おまえは今日も、私を助けてくれたのだ。あさはかだった。ほんとうに、とんでもない間違いをしてしまった。」