神よ、私の神よ。 どうして、私をお見捨てになったのですか。 どうして、助けるどころか、 うめきさえ聞いてくださらないのですか。
私から出るのはため息ばかりで、 食事ものどを通らない。 うめき声は水のように止めどなくあふれている。
主よ、なぜ、遠く離れて立ち、 主を一番必要としているときに、 お隠れになるのですか。
ああ神よ、どうかお救いください。 私は隠れ場を求めてまいりました。
徒党を組んだ悪人どもが、 群がる野犬のように私を取り巻きます。 私の手足は引き裂かれています。
どうか、私を低俗な罪人たちと いっしょにしないでください。 また、罪もない者を罠にかけ、 わいろを取る連中といっしょにしないでください。
主は正義と公平を愛されるからです。 神はご自分の民を決してお見捨てになりません。 その人々は永遠に安全を保証されているのです。 反対に、悪の道を慕う者は滅びます。
私は精根尽き果て、絶望してうめくのみです。
「神もあいつを見限ったのだ。もうじゃまは入らない。 今度こそ、打ち倒すことができる。」
わたしはあなたがたを救う。 遠い将来ではなく、今すぐに。 すでにあなたがたを救う準備は整った。 わたしは、わたしの栄光である エルサレムとイスラエルを再建する。
あなたがたは飢えた熊のようにほえ、 鳩のように、いかにも悲しそうなうめき声を上げます。 神を見上げますが、神は守ってくれません。 横を向いてしまったのです。
でき上がったものを細かくちぎって油をかける。これが穀物の供え物の形式である。
三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれました。それは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味です。
三時ごろイエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれました。それは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味です。
イエスは苦しみもだえながら、いよいよ力を込めて祈られました。大粒の汗が、まるで血のしずくのようにしたたり落ちました。
イエスは言われました。「以前、いっしょにいた時、モーセや預言者の書いたこと、それに聖書の詩篇にあることは、必ずそのとおりになると話して聞かせたはずです。忘れてしまったのですか。」
お金を愛する心を捨て、いま与えられているもので満足しなさい。神は、こう約束しておられます。「わたしはどんな場合にもあなたの期待にそむかず、あなたを見捨てない。」(申命31・6)
キリストはこの地上におられた時、死から救うことのできるただひとりの方に、うめきと涙とをもって祈られました。この祈りは、どんな場合にも神に従おうとする、キリストの謙遜で切なる願いのゆえに聞き入れられたのです。
主は、ご自分の民を捨てて、その偉大なお名前を汚すようなことはなさらない。主はあなたがたを、特別な民として選んでくださったのではないか。そうすることが主のご意志だったのだ。