バビロンの川のほとりに座り、 私たちはエルサレムのことを思って泣きました。
さていよいよ、私はアハワ川のほとりで断食を命じ、一人一人が神の前に謙虚になるよう勧めました。そして、これからの道中の無事と家族や持ち物の安全を神に祈りました。
こうして、一行がアハワ河畔のキャンプをたたみ、エルサレム目指して出発したのは第一の月の十二日のことでした。道中、神は敵や盗賊からお守りくださいました。
「王様、どうして悲しまずにいられましょう。先祖たちの眠る町が廃墟となり、門も焼け落ちたままなのです。」
さあ、私のたましいよ、元気を出せ。 あの日のことを思い出すのだ。 まさか忘れてはいないだろう。 あの祭りの日、多くの人の先頭に立って神の宮に上り、 喜びに満たされて賛美の歌を歌ったことを。 どうしてそのように沈み込む必要があるのか。 どうして悲しげにふさぎ込んでいるのか。 神に望みを託すがよい。 そうだ、助けを信じて、 もう一度神をほめたたえよう。
エルサレムを愛し、そのために嘆いてきた者よ、 エルサレムといっしょに喜び、楽しめ。
「その帯を取り、ユーフラテス川に持って行き、岩の割れ目に隠せ。」
私は、笑いさざめく彼らの宴会に 列席しませんでした。 神の御手のもとに一人で座っています。 彼らの罪ために、心は憤りで張り裂けんばかりです。 ところが神は、いざという時に 私を助けてくれませんでした。 迫害をやめさせてくれなかったのです。 彼らは、私に害を加える手を、 ただのひと時も止めないのでしょうか。 神の助けは、ある時は水があふれ、 ある時は干上がってしまう谷川のように、 あてにならないものです。」
商業の中心地である繁栄した港よ。 いのちの糸が切られる最期の時がきました。
国中に響き渡る彼らの泣き声を聞いてください。 「主は、どこにおられるのだろう。 神は私たちを置き去りにされたのだろうか」と、 彼らは叫びます。 ところが主は、 「どうして彼らは、自分たちで作った偶像や、 外国の悪い習慣をまねることによって、 わたしを怒らせてしまったのか」と答えるのです。
このことで、私は泣いています。 私を助けられるのは主だけだというのに、 主は私を慰めもせず、遠く離れて立っています。 子どもたちに未来はありません。 私たちは征服された民です。
その時、人々は主の前で泣きました。 エルサレムの城壁よ、昼も夜も、 存分に泣きなさい。 涙が川となって落ちるまでに。
同胞が滅んでいくのを見て、 昼となく夜となく、涙があふれ出ます。
私の胸は、エルサレムの娘たちの災いを知って、 張り裂けんばかりです。
ブジの息子である私エゼキエルは祭司でしたが、バビロンに連れて来られた捕囚のユダヤ人の一人として、ケバル川のほとりに住んでいました。第四の月の五日、突然、天が開いて、私は神からの幻を見たのです。その時、私は三十歳になっていました。
そこで神に、捕囚を終わらせ、祖国に帰してくださいと熱心に願いました。断食をし、荒布を着、灰をかぶり、自分の罪や同胞の罪を告白して祈り求めました。「ああ主よ。あなたは大いなる恐るべき神です。あなたを愛し、そのおきてを守る者には、あわれみによる約束を必ず果たされます。
さらにエルサレムに近づいた時、イエスは都をごらんになり、都のために涙をこぼされました。
それからわたしは二人の証人を任命し、特別な力を授けて、荒布を着たまま千二百六十日間、預言させます。」