エルサレムの主の宮に行こうと 誘われた時のうれしさは忘れられません。
あなたのおきては、いつまでも私の宝です。
苦しみの底から助けを呼び求めると、 主は救いの手を差し伸べてくださいました。
私は山の神々に助けを仰ぐべきなのでしょうか。
私は天の王座におられる神を見上げます。
イスラエル中の人々は、次のことを知りなさい。 もし主が味方でなかったなら、
主を信頼する人は、シオンの山のように、 どのような状況でも動じません。
主が、捕虜となっていた人々を エルサレムへ連れ戻された時、 私たちは、まるで夢でも見ているようでした。
主が建てたものでなければ、家を建ててもむだです。 主に町を守っていただかないのなら、 見張りが立つ意味もありません。
主を恐れかしこみ、信じて従う人に、 祝福がありますように。
イスラエルは言う。 「私は若いころから迫害され、
ああ主よ。私は失意のどん底から、 あなたの助けを叫び求めます。
主よ。私は思い上がったり、 横柄な態度をとったりしません。 何でも知っているふりをしたり、 他の者より自分がまさっていると 考えたりすることもしません。
主よ。あなたは、私の心が騒ぎ立っていたころのことを 覚えておられますか。
兄弟たちがいっしょに仲良く暮らすことは、 なんと楽しく、なんとすばらしいことでしょう。
夜ごと神殿の警備に立ち、主に仕える人々よ。 さあ、ほめたたえなさい。
主よ。私はあなたの家を愛しています。 光り輝くその宮を。 主ご自身から照り渡る、 目もくらむばかりの輝きに満ちた宮を。
さあ、私のたましいよ、元気を出せ。 あの日のことを思い出すのだ。 まさか忘れてはいないだろう。 あの祭りの日、多くの人の先頭に立って神の宮に上り、 喜びに満たされて賛美の歌を歌ったことを。 どうしてそのように沈み込む必要があるのか。 どうして悲しげにふさぎ込んでいるのか。 神に望みを託すがよい。 そうだ、助けを信じて、 もう一度神をほめたたえよう。
われわれは兄弟同様の仲だったではないか。 祭りの日には連れ立って神の宮へ行き、 道々楽しく語り合った。
あなたの神殿で過ごす一日は、 ほかで過ごす千日よりもすばらしいのです。 悪の宮殿に住むよりは、 神の家の門番になりたいと思います。
そして彼らは言います。「さあ、主の山へ登ろう。 イスラエルの神の神殿に行くのだ。 そこで主の教えを習おう。 私たちはそれに喜んでお従いしたい。」 その時代になると、 世界の支配権はエルサレムへ移ります。
エフライムの丘に立つ見張りが声を張り上げ、 『さあ、シオン(エルサレム)に上って、 神のもとへ行こう』と言う日がくる。」
君主も、こうした祭りの期間には、一般の民といっしょに入り、また出るようにすべきである。
彼らは互いに言う。 「さあ、主の山へ行き、 イスラエルの神の神殿を見よう。 神は、私たちがどうしたらよいか教えてくださる。 そうしたら、そのとおりにしよう。」 その日には、 主がエルサレムから全世界を支配する。 エルサレムから主の教えが発せられ、 主のことばが告げられる。