敵は、くる日もくる日も私をののしり、のろいます。
主に向かって怒り狂うとは、 なんと愚かな国々でしょう。 神を出し抜こうとするとは、 なんと身のほど知らずな人々でしょう。
ところが敵は、 「さっさと死んで、忘れ去られてしまえばよい」 と言っています。
敵はわめき散らし、殺してやると脅してきます。 遠巻きにして、私を殺す策略を練っています。 その激しい怒りと憎しみが 私をのみ込もうとしています。
彼らにさげすまれて、私の心は傷つきました。 心はふさぎ込んでしまいました。 一人でも、同情して慰めのことばをかけてくれる人が いてくれたらと思います。
私は、とうに終わった 古き良き時代のことを思い起こします。
敵も、神が王として油を注がれたこの私を、 あざけっています。
おまえたちの名は、わたしの民の間で、 のろいの代名詞となる。」 それは、主があなたがたを殺し、 真の主のしもべをほかの名で呼ぶからです。
彼らの運命は悪いことを表すことわざとなり、のろいのことばとして、『神がおまえを、バビロンの王に焼き殺されたゼデキヤやアハブと同じ目に会わせるように』と言われるようになる。
これを見たパリサイ人たちはすっかり逆上し、イエスを殺そうとたくらみ始めました。
また、クリスチャンにキリストを冒瀆することばを吐かせるためには手段を選ばず、拷問を加えることもしばしばでした。それほど激しく反対していた私ですから、遠く外国まで迫害の手を伸ばそうとしたのも不思議はありません。
この告発に、ユダヤ人の指導者たちの怒りは爆発しました。彼らは歯ぎしりしてくやしがりました。
キリストも、ご自分を喜ばせようとはなさいませんでした。「彼が来られたのは、実に、敵対する者たちの侮辱を受けて苦しむためであった」と、詩篇の作者が言っているとおりです。