人はいつも自分が正しいと思います。 しかし、主もそう思っているでしょうか。
それどころか、知らないふりをして押し通せば、 どんな不正行為も隠し続けることができ、 捕まることはないと、自分に言い聞かせています。
愚か者は忠告を無視し、 知恵ある人は人のことばに耳を傾けます。
広くて歩きやすい道は正しい道に見えます。 しかし、その終点は死です。
銀や金は火で精錬しますが、 人の心をきよめるのは主です。
どんな行いでも、 もっともらしい理由をつければ正しく見えますが、 神はどんなつもりでそうしたかを見ます。
神は何もかもご存じです。 あなたのなすことすべてに 目と心を配っているのですから。
正しい人の道は、息の切れる坂や、 歩きにくいでこぼこ道ではありません。 神が道をならし、平らにするのです。
ただわたしだけが人の心を知っていて、 隅々まで探り、 一番奥に隠された動機までわかる。 そして、一人一人に それぞれの生き方に応じた報いを与える。
『テケル』は、はかりで量られたという意味で、王が神のはかりで量られ、審査に落ちたということです。
「なぜ、ろばを三度も打ったのか。あなたが破滅の道を進んでいるので、止めに来てやったのに。
そんな彼らに、イエスはおっしゃいました。「あなたがたは、人前ではいかにも上品でうやうやしい態度をとっています。しかし神は、あなたがたの悪い心をお見通しです。いくら人の目をごまかし、賞賛を受けても、神には憎まれるのです。
テアテラにある教会の指導者に、次のように書き送りなさい。『この手紙は、燃える炎のような目と、真鍮のように輝く足を持つ、神の子からのものです。
また、あの女の子どもたちも打ち殺します。こうしてすべての教会は、わたしが人の心と思いを見通すことを知るのです。わたしは一人一人に、それぞれの行いに応じて報います。
当時イスラエルには王がなく、各人各様、自分の目に正しいと思うことを行っていたのです。
しかし、主は言いました。「容貌や背の高さで判断してはいけない。彼ではない。わたしの選び方は、あなたの選び方とは違う。人は外見によって判断するが、わたしは心と思いを見るからだ。」
思い上がりも、尊大さも許されません。 主は何もかもご存じで、 すべての行為をおさばきになるのです。