知恵のある人は先を見越し、 愚か者は自分をごまかして事実を直視しません。
人はどうすれば知恵をみがけるでしょうか。 それには、主を信じて従うことです。 神のおきてを守ってこそ、賢くなれるのです。 神を永遠にほめたたえましょう。
私はそのおきてから少しでもそれないでいたいと、 心から願っています。
主よ。あなたは私をお造りになった方です。 ですから、おきてを第一にして歩むための 知恵をお授けください。
朝になったら、あなたの恵みを見せてください。 あなたを支えとして生きている私に、 どの道を選ぶべきか教えてください。 私は心の底から祈っているのですから。
悪いことをしてもうけた金はすぐになくなり、 正しいことをして得た報酬はいつまでも残ります。
正しい人の考えは正直一筋ですが、 悪人はうそと偽りでこり固まっています。
愚かなことをして喜ぶのは、 何かが間違っている証拠です。 分別の備わった人は正しい道を踏みはずしません。
主は、どんなときにも 何が正しく何が間違っているか、 正しく判断する方法を教えてくれます。
わたしはだれをも正しく扱い、えこひいきしない。
それは、こういうことです。光が闇にまさっているように、知恵は無知よりはるかに価値があります。賢い人は先々を正しく判断しますが、愚かな人は先のことがわかりません。ところが私は、知恵のある人にも知恵の足りない人にも共通点があることに気づきました。
賢い人も愚かな人も死ぬのです。時がたてば、両者とも、すっかり忘れられてしまいます。
北から攻めて来る軍隊を見よ。 エルサレムよ、おまえの羊の群れはどこにいるのか。 わたしが預けておいた美しい羊の群れはどこか。
この世の知恵は、神から見れば愚かだからです。聖書のヨブ記に、「神は人の知恵を、その人を捕らえるわなとして用いられる」(5・13)と書いてあるとおりです。つまり、人は自分の「知恵」につまずいて倒れるのです。
古い邪悪な性質を捨て去りなさい。古い性質とは、以前のあなたがたのように肉欲に惑わされ、滅んでいくような生き方です。
軽率に行動せず、主が望んでおられることを実行しなさい。
しかし、人をだます悪人や偽教師は、自分も悪魔にだまされて、ますます悪の深みにはまり込むのです。
良い生き方をする人は、柔和な行いを身につけた、知恵のある賢い人です。